センチメンタル・ジャーニー -KYOKO

From -MARRIED

降りる人数の割には、いつも閑散とした印象のある、このプラットホーム。
列車が滑り込むのと同時に席を立った。
正直に言うと、なんだか落ち着かなくて、いても立ってもいられなかったのが本音かもしれない。
流れる景色が少しずつ変化していくのを眺めていると、近づいているはずなのに、
しばらく離れていたことを今さら実感したりして。
へんなの。
毎日電話もしてたし、こまめにコミュニケーションは取ってた。
国内なんだし、いざとなれば数時間で東京へ戻れる距離。
ただ…私と敦賀さんの地方ロケが少しズレた状態で重なってしまった関係で、
3週間くらい会えてなかった事情からっていう理由も、あるのかもしれないな。
なおさら、“本物”に会えるのが待ち遠しくてたまらなかった。

気持ちがはやるのか、改札を通るときにちょっとだけもたついてしまう。
自分でもびっくりするくらい、浮き足立ってる、みたい。
仕方ないよね。
心の繋がりはあると思ってるのに、確かなぬくもりとか感触から遠ざかってる期間が多ければ多いほど、
彼に向かって強力な磁力でも発生してるような感覚。
本当に四六時中ベッタリしていていいと言われたら私…どんな風に思うのかな。
嬉しいな、って、感じるかな。

駅を出たところの路上にいると言ったから、そのつもりで、ごく控え目にそれ、を探すようにあたりを見回す。
あれ…?
こんなとき、ほとんど遅れたことなんかないのに。
どうしたのかな、何かあったのかな。
急に不安になって、荷物を持つ手にぎゅっと力が入る。

「お迎えに上がりました」
「え?あ!す、すみませんっ」
少しの間キョロキョロしていたら、思わぬ方向から急に話しかけられて、大きな声を出してしまった。
どう考えても敦賀さんとは違うその声の主を改めて見ると、なんと社長さんのお付きのセバスチャンさん、もとい、ルトさん。
…私の不審な挙動に対してもいつもどおり表情はほとんど変わらないのがさすが。
でもよかった、とりあえず…関係者が現れてくれて。
「事情は中でお話します」
どうぞ、と促されて、気づくと目の前に停まっていた大きな黒いワンボックスに乗り込む。
だけど、おかしいな…なんでこの人が来たんだろう、と思いながら中を一瞥すると。
「おかえり」
敦賀さんの声が聞こえた。
「…びっ…くりしたぁ…何かあって来られなくなったのかと思った」
「このとおり、何もないよ」
後部座席で、顔を緩ませて微笑む敦賀さんを見て、思わず胸がきゅーんとしてしまう。
私にだけ、笑ってくれてる。本物よね?
よかった…ただいま、敦賀さん。
会いたかった…ずっと。
タイミングを少し焦らされたぶん、より嬉しくて、とりあえず隣に座ったあとニマニマしながら少しだけ彼に触れてみる。
だけど同じくして彼が私の頬を撫でたから、慌ててそれを制止する。
だ、だめよ敦賀さん、ここ、ふたりきりじゃないんだもの。
どう考えてもこの体勢からだと、ぜったい…ちゅーするよね?
や、べ、べつに私もしたくないわけじゃないんだけど、とにかくここ人様の車だから…っ。
「見えないから平気だよ」
そ、そんなわけないもんっ、ほんとに見えなかったら運転できないじゃない。
私の心を読んだような言葉に思いっきり焦る。
「…じゃあ…後でたっぷり、させて」
首を振る私に向かって、クスクスと笑いながら敦賀さんが楽しそうにそう言った。
た、たっぷり…って……別に…お家へ戻ってからなら、いいですけどっ…。

「撮影、どうだった?」
車が走り出してすぐ、相変わらず私に触れたままの彼が話題を変えた。
「ん、おかげさまで順調でした」
「そっか…お疲れさまでした」
「…敦賀さんは?入れ違いでごめんね」
「ん、俺も大丈夫だったよ、おみやげ買ってきたから楽しみにしてて」
おみやげ…なんだろ、嬉しいな。
「京都は…どうだった?」
そのまま続く問いかけの内容に、内心ドキリとしつつ、どう答えるべきか少しだけ考えを巡らせた。
「ん…うん、大丈夫、だった」
言葉を選びながら答える私を、優しく敦賀さんが抱き寄せる。
今日は…私は京都からの帰り。

この地名は、少しだけ複雑な気持ちを連れてくるワードでもあったけれど…
でも、今はもう違う。
二度と帰れない…帰ることはないんだ、って感じてた頃からすれば嘘みたいな変化で、
それはもちろん、あなただって知ってること。
思い出したくないこともある。だけど、すべてが嫌で、何もかも消してしまいたいことばかりでは、なかった。
私を形づくった重要な場所。
そして…初めて出会った場所でも、ある。あなたと。
あれがなければ今の私もいないから…そういう意味では間違いなく原点の、場所。
「俺も行きたかったな」
「…うん」
あの頃みたいにただ「純粋」な関係ではないし…
結構な頻度でキスしたり、それ以上のこともしちゃったりして…なんとなくヤマシイような…気もする、けど。
気持ちはもちろん、今でも純粋だと思ってる。
好き、なだけ。好きだからそばにいたい。
好きだから…この人といろんなことをしてる。
それがすべての理由。

「キョーコ?」
名前を呼ばれたのに続いて、見て、という敦賀さんの声で我に帰る。
何を?と思いながらふと気づくと、前後の座席を仕切っている板が白っぽくなっていた。
見てって、これのこと?
さっきはもっと違う感じだと思ったけど…確か普通に運転席も見えてたはず…。
「前、見えなくなったよ」
「ほんとだ…」
だから、キスしてもいい?
そんなストレートな問いかけが終わるか終わらないかのうちに、敦賀さんの唇が触れた。
同時に身体がぐっと近づいて、彼の纏う香りが私を包む。
さっきのアレ…魔法みたいだったな、なんて思いながら、なんとなく置きどころのなかった手を敦賀さんの腕に添えた。
何度か顔の位置を変えて口づけを繰り返したあと彼から離れると、
親指で唇をそっと拭うその仕草と表情が何とも言えなくて、キス以上のことをしたときみたいに無性に恥ずかしくなる。
いくら見えないとはいえ…ルトさん、運転席にいるんだし。
それに、こんな風に見えなくしたのもあのヒトだよね?事前に頼んだのかな?それとも気を利かせたのかな?
…どっちにしても恥ずかしいったらないんだから…敦賀さんのバカ…っ。
「…ごちそうさま。ごめんね…我慢できなくて」
「ん」
聞いてて思わず赤面するようなことをサラッと口にしてから、敦賀さんが、今から社長さんの家へ行くのだと言う。
あぁ、そうなんだ。だからこの車で来たんだ。
言ってくれればよかったのに…本当にびっくりしたんだからね?
だけどあなたに何事もなくてよかった。
遠くにいるときほど、そんなことを考える。
そばにいて、あなたのことを見ていられないのは少し、だけ、不安だったりするの。
どちらかに長めのロケがあったりすると、こっそり心配になる。
お互いにいい大人なんだけど…
あぁ、きっとそれは、敦賀さんを心配するというよりも、
私がただこの人のそばにいたいっていう気持ちが一番だからなのかもしれない。
別れる瞬間に、これっきりもう二度と会えなくなったりしたらどうしようって考えたりする、から。

だから、会えたときは本当に嬉しい。
今日は少し違ったシチュエーションだったからか、普通に敦賀さんが迎えに来るよりもドキドキが強かったかも、なんて。
不意打ちだったけど、あなたの顔を見ればそんな気持ちも吹っ飛んでいく。
甘えるように、敦賀さんの肩に額をくっつけてみると、すぐに敦賀さんが私を抱き寄せた。
そうそう。
この体温を自分の身体で確かめないと、本当の意味での帰ってきた実感は、湧かない。

…ただいま、敦賀さん。
離れていると、そばにいるときよりも強く、あなたのことを想ってしまう。
いつもどこかあいまいだった私の居場所を、はっきりと作ってくれたのは、あなただもの。
あなたの隣に居場所ができて、初めて、世界に自分の存在を認められたような…気がする。
京都でもどこに行ってても、私が帰ってくる場所はここなんだ、って、思っていたい。あなたの隣に帰るんだ、って。
「…やっぱり帰ろうか」
「えぇ?」
「…なんか…」
「ん…?」
「さっきのだけじゃ物足りないし」
「何言ってるの…」
駄々っ子、とまではいかないけれど、そんな敦賀さんの言葉がなんだかおかしくて、可愛くて、思わずほっぺたに触れてみた。
もう、そんなワガママ、だめよ?
そしたら、敦賀さんが私の手をつかんで指先にキスをする。
そのあと、いい?と動いた敦賀さんの唇が、私のそれに再度触れた。
また、キスしちゃった…。
だけど気持ちはちょっとわかる。
私も、久しぶりに会えてテンション上がってるみたい。
匂いとか、感触とか、体温とか。
ほんとは、まだ…足りないな、って思ってる。
もう少し濃密に触れあってないと、会わないでいる間に足りなくなってきてた「あなた」が、充分にチャージできない気がするの。

あなたといること…あなたのそばにいられること、が、私にとってひとつのアイデンティティになってる。
私の命の歩みにどんな経緯があっても、それでも生まれてきてよかった、
“最上キョーコ”でよかった、と、迷わず思えるほどのもの。
めぐり会えたこと、だけでもそうだったんだけど、こんなふうにして…あなたと結婚、してからは、
ずっとずっと欲張りになってしまって…正直なところ、ちょっと困ったなって思ってる。
こんな風に、人様の車のなかでもかまわず、久しぶりに会えたあなたとのキスを何度も望んでしまうくらいには。
だから…さっきのセリフにはドキッとしてしまった。
咎めるような言葉の裏では、そうしてもいいかな、なんて矛盾した気持ちも浮かんできて。
…京都から帰ってきたばかりだからなのかな。
やっぱり今度は…一緒に行きたいな。

ねぇ、敦賀さん。
…社長さんのところへお邪魔するっていっても、多分ほんのちょっとだろうからせめてその間は我慢して、
そのあとお家へ帰ればずっとふたりきりなんだし、そしたら…とりあえず、誰のことも気にしなくて…いいから。
…そうよね?
なんて、自分にも言い聞かせながら、彼の肩にもたれかかって目を閉じる。


2020/05/05 OUT
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