ひとつ屋根の下 -REN

From -MARRIED

俺と彼女は共働きで、同じ仕事。
だけれど、そのペースや細かい内容はまったくといっていいくらい、違う。
俺が映画をやっている時には彼女がドラマを撮っていたり、
またその逆のパターンもある。
ドラマのクールはズレることのほうが多いし、
その撮影のために地方で缶詰になることだってそんなに珍しくはない。
そして、露出するメディアはテレビや映画だけではないから、
本当に仕事の種類というのは千差万別だ。

とはいえ、2人ともメインの肩書がいわゆる「役者」だから、互いのやっていることの想像はできる。
取り組んでいることの過程や、その大変さ。時間が思うようにはいかないこと。
だから、日常がすれ違ってしまっていても、それは俺も彼女も織り込み済みのこと、であって、
特別なことではない。
まあ…だからってそれを何とも思わないかというと、それはそれでまた別の話、ではあるけれど、ね。

「お疲れさま。送ってくれてありがとな。また明日、連絡するから」

彼女よりもずっと、一緒に時間を過ごすことの多いマネージャーと、
いつものように挨拶を交わしてひとり、家路につく。
昔、というか、まだ恋人同士だった頃は、仕事の合間に逢うことが当たり前で、
そのスケジュールによっては思うように逢えないことも多くて、
だけどそれはもちろん互いに了承していることだったから、そのことについてもめるなんてこともないし、
そのぶん、逢えた時の喜びとか、2人で過ごす時間の大切さが際立っていたけど、
結婚して同じところで生活するようになっても、結局本質はあんまり変わらないんだとわかって、
思わず苦笑いしてしまったっけ。

でも、先の見えない中で必死に手をつないでいた頃とは、やっぱり雲泥の差、ではあると思ってる。
その瞬間、隣にいないことを寂しく思っていても、その底に流れているのは揺るぎない安心感。
ありきたりな言い方だけど、結婚して、本当に…良かった。
書類も、指輪も、ドレスも、誓いも、壊れるときには脆いという人もいる。
そんなこと、誰が信じられるだろう。
思い出すたびに、こんなに…幸せな気持ちになれるのに。
そのすべてが、俺と彼女をつなぐ絆を形にしてくれて、いるのに。

*

「おかえりなさい。ずいぶん遅かったけど…大丈夫?」
「大丈夫だよ」

この部屋のドアを開けると、息を吹き返したような気分になる。
深呼吸のように大きく息をついて、それから、漂う空気に包まれてゆっくりと心がほどけていくような、そんな感覚。
それと、今日は先に帰っていたであろう彼女も揃っていて。
…完璧じゃないか。

「ただいま」

靴を脱いだあと、迎えに出てくれた彼女に手を伸ばした。
互いの身体の感触と存在を確かめるように、抱き合って、それからそっとキスをする。
いつまでも恋人気分で、と咎められても仕方がないのかもしれないけれど
これがないとなんとなく落ち着かない、というか。
ああ、そうか…なかなか逢えなかった頃の名残、なのかな。
今はこうやってここに帰ればいつでも逢えるし、
ただ、こういうことを彼女とするのが、好きなだけで。
許されるならずっと、触れたりキスしたり…そこから先に進んだり、していたいだけで。

「お風呂、用意してあるからね。私は先に入っちゃったの。ごめんなさい」
「…謝る必要なんてないよ」
「敦賀さん、きっと疲れてるのにって。私だけさっさと済ませちゃって」
「そんなこと…」

えへへ、と笑って彼女が俺の腕にしがみつく。
ああもう、ちょっと、不意打ちに近いタイミングでそんな可愛いことをされたら。
…わかるよ。俺が仕事で遅くなるのに、自分だけ眠る用意をするなんて、少し気が引けるんだろう。
そんなの、気にするようなことじゃないのに、そういうところは実に彼女らしい。
あふれる愛しさを処理するように、彼女の頭を抱き寄せて、髪に口づける。
もっといろんなこと、したいんだけど…今日はもう、我慢、しないと。

「待ってなくて、いいから」
「うん」

そう告げて、しばらくの別行動。
彼女はキッチンへ。俺は浴室へ。

*

浴室を出て、ベッドルームへ行くと彼女がベッドの上にいるのが目に入る。
ヘッドボードにもたれて座ってはいるけれど、近づくと、うつらうつらしているのがわかった。
…多分これは俺を待ってて、くれてるんだな。
待ってなくていいと言ったのに。嬉しいけど、俺のために無理をしてほしいわけではないから。
明日も仕事だし、ね。

「ごめんキョーコ。上がったよ…お待たせ。早く眠らないと…」
「ん…はい…もう寝るね」
「おやすみ」
「おやすみなさい…」

今日、帰宅してから交わした言葉はそんなに多くはないし、
こんな感じの日は多々ある。
もっと時間がすれ違うと、そもそも言葉を交わせること自体がラッキーになったりもする。
だけどそんな不足を補って余りあるのが、たとえ言葉を交わさなくても隣で一緒に一日を終えること。
ちゃんと挨拶ができれば、もちろん完璧なんだけど。
…おやすみ、キョーコ。良い夢を。
目を閉じた彼女の様子を少しだけ、眺めてみる。
少しくらいのすれ違いがなんだっていうんだ。
日常を紡ぐ彼女のそばにいられること…同じ場所で共に暮らす幸せが、
マイナス要素をみんな、帳消しにしてくれてる。

「どこ…行くの?」

彼女と一緒にこのまま眠ってしまおうと思って、ベッドへ横になったタイミングで、
今日もらったばかりの台本に、少し気になるところがあったのを思い出した。
後でもう一度見てみないと、と思っていたのに。
この部屋へ帰ると途端にプライベートモード全開になるから困る。
起こさないようにリビングへ移動して、そこだけ確認しようと思って起き上がった瞬間。
手をぎゅっとつかまれて、すぐに隣から声が聞こえてきた。
案の上、起こしてしまった。やっぱり先に見ておくべきだったか…。

「ああごめん、起こしたね」
「ううん」
「ちょっとだけ、新しい台本をざっと見ておこうと思って」

リビングに行くから大丈夫、と告げてベッドから降りようとしたら、
彼女が改めて俺の腕をつかんだ。
身体を起こして、薄暗い中、俺の方をじっと見つめる。

「…ここじゃ、ダメ?」

え?

「私、電気…付けたままで大丈夫だから…敦賀さんが嫌じゃなかったらここでも…」

何を…言うのかと思って少し身構えた俺に、すうっとしみこんでいく彼女の柔らかな声音。
びっくりした。びっくりしたのと同時に、その言葉の内容が遅れて俺の中へゆっくり溶けていく。
あぁ…そうだね。もちろん、そうできれば。

「…うん、じゃあ、そうしようかな。いい?」
「ん…」

俺がそう言ったのを受けて嬉しそうに微笑んだ彼女を見て、身体がじんわりと温かくなる。
台本どころではないこの気持ちを少しなだめるように、胸に手を当てた。
少しでも一緒にいたいと、俺が思うように彼女も思ってくれてるんだとわかるから、素直に嬉しい。
そんなのはもう、とっくにわかってたはずだし、わかっているんだけど、
でも、こうして実際に言葉にして伝えてくれると、身体中を喜びが駆け巡る。
リビングへ向かう間、さっき起きた出来事を何度も反芻して、
我ながら気持ち悪いくらいに顔が緩んでるんだろうと思う。
悪くない。

一緒に生活すること、は、ただ単に寝食を共にするという物理的なものだけではなくて、
いろんなことがついてくるんだとすぐにわかって、その時にも心の底から幸せだと思ったけれど、
こんなふとした瞬間にだって、そのメリットにあずかることができて
そのたびに幸せの底なし沼にずぶずぶとはまっていくようで…逆に恐ろしくもある。
さっきだって、仕事のことを少し忘れていたわけだし、気を引き締めないと、なんて考えながら
カバンから台本を取り出しても、なかなか仕事モードへは向かえない。
しょうがないよな。
うん。

ベッドルームへ戻ると、メインの照明が付いているのに気づく。
あれ…さっきは多分ベッドサイドのランプだけだったはずだけど…そうか。
俺がリビングへ行っている間に彼女が付けたのか。
いつものランプだけでも十分なのに、台本を読むと言ったから、なんだろう。
深夜の寝室に少しだけ不似合いな明るさが、彼女の俺への想いをあぶりだすようで照れくさい。
まるで神聖な空気がただよう完全に護られた結界の中、のような。
俺にとっては彼女の居るところが、そうなるのかな…なんて。

じゃあ、そんなところに居る彼女に、
眠りを妨げるのをわかっていながらおやすみのキスをしておきたいなんて思う俺は…
不届き者なのかもしれない。

「おやすみ…」

やっぱり我慢できない。
これでもし起こしてしまったとしても、彼女はきっと怒らないだろうと思って、そっと頬に口づけた。
彼女のどこへキスをしても、唇でその感触を確かめるといつもとても幸福な気持ちになる。

ありきたりな言い方しかできないけれど、いつも…ありがとう。
存在だけで十分なのに、どうして君はこんなに…たくさんのものを俺に与えてくれるんだろう。
一緒に朝を迎えて、仕事へ出かけて、帰ってきて、共に眠る。
彼女と紡ぐ同じ毎日の中…少しずつ違うことが起こって、
その中にはいつも新しい発見や驚き、そしてたくさんの新しい幸せが待っている。
まったく同じ日は二度とないからこそ、一日一日を大切にしようといつも思う。
そんな風にしてこれからも、いろんな場面を君と一緒に過ごしていきたい。
この、ひとつ屋根の下で。


2018/01/07 OUT
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