LovelyBaby -REN

From -MARRIED

「つるがさーん!」

普段なら多分ありえない音量で、彼女の俺を呼ぶ声が響く。
まだ苗字で呼ばれてるんだ…という周囲の目が、刺さって痛いような、
それとなく憐れみすら感じさせるような気がしたけど、
それは俺の受け取り方の問題なんだから、と自分に言い聞かせる。
うん、呼び方なんて大した問題じゃない。
それより、堂々と迎えに来ても不思議に思われないほうがよっぽど嬉しい。

「じゃあこれで帰ります、すみません」
「かえりますっ」

ほらほら、足元気をつけて。
まったく…なんでこんなになるまで…。
少し足取りの怪しい彼女を、なんとか助手席に座らせて、改めて周囲に挨拶をして車を発進させた。

「きてくれて、ありがとう」
「気分は大丈夫?…ずいぶん酔ってるよね」
「そんなよっぱらってないですよ」

酔っぱらってる人に限ってそういうことを言うんだけどな。
そう思って隣をちらっと見やると、俺の方を向いてニコニコしてる。
…かわいいから…まあいいか。具合が悪いわけじゃないなら。

「何杯飲んだの?飲まされた?」
「どうだったかな…」

忘れちゃいました、と笑う。
普段の彼女より、いろんな意味でくだけてるというか直接的というか。
いつもの態度が決してよそよそしいわけではなく…そうだな、心の声がダダ漏れしているというのが近いのかな。
たまにアルコールのお陰でこんな感じの彼女に逢うけれど、これはこれで楽しい。
酒に強いんだか弱いんだか、それはよくわからないな。
具合が悪いようなことはないから、アルコールにさほど強くないことをわかっていて、
とりあえずは手前で止めてるんだろうか。
そんなことを考えながら車を動かしていると、シフトレバーに添えた手の上に違和感を覚えた。
見ると彼女の手が重なっている。
同時に隣の彼女が俺をじっと見ているのにも気づく。

「どうかした?気分でも悪い?」
「しないんですか?キス」

思いもしない言葉がかえってきて、一瞬ハンドルを握る手が滑りそうになる。
…やっぱり酔ってるな。
でも、ご所望ならその期待に応えないとね。
さっきは人目もあったし、もし君が飲み過ぎて具合でも悪くしてたら、なんて思ってそれどころじゃなかったよ。

「待ってて…あの信号、赤になるから」

読み通り、赤信号で止まった隙にそっと唇を重ねる。
おかえり、キョーコ。今日はいろんな顔をした君に…逢えそうだ。

「もう?」

信号を気にしながらすぐに唇を離すと、さっきまで触れていた相手のそれが動いて微かに空気を揺らす。
なんだ…これ…俺が普段言いそうなことばかりじゃないか。
キスしよう、とか、もう終わり?とか、そんな感じのことを言っては彼女を困らせたりして。
実際自分が言われてみるとすごく、くる。
そうやってさっきから少しずつ理性が揺さぶれているから、そのうち派手に箍が外れそうでまずい。

「あとどれくらい?信号、たくさんある?」
「あと…そうだね、5分くらいだよ。すぐ着く」

今のはつまり、次の信号でまたキスしたいってことか…キョーコ。
そんな言い方、どこで覚えた?
こんなに一緒にいるのに…まさか君がそんな風に俺を誘う日がくるなんて。



「ん」

駐車場。無事に停めた車内で、信号を気にせずにゆっくりキスをする。
とりあえず彼女の座るシートをほぼフラット気味に倒して、
外からは見えにくいようにしたけれど、この格好でいつまでもこういうことをするのも別の意味でよくない。
部屋まで上がれば好きなだけできるんだけど…次のステップへも容易に移れるし。
だけどいま彼女がそうしたいなら、と思ってしばらく軽めのそれを繰り返して、互いの熱を探る。

「かえりましょ?」

そんなキスを何度か交わしたあと、離れていった彼女がそう笑う。
うん、そろそろ帰ろうか。これ以上こうやってたら、ちょっと我慢できなくなりそうだ。
それにしても…確実に酔ってはいるんだろうけど、それがいちいちどうにもかわいくて、
このあとどうしてやろうかと思いながら、手を繋いで歩く。
続きがしたいと言ったら、なんて答えるかな。
あんなに濃厚にキスしてくれてたし、断られそうな感じはしないけど、
でも無理強いはしたくないし、そこまで遅い時間ではなくても、明日もそれぞれ仕事だし。
エレベーターに乗り込みながらいろいろ考えていたら、彼女が俺に腕を絡めてぐっと寄りかかる。

「だーいすき」

あぁ…もう、勘弁してくれキョーコ。
いや嬉しくないわけじゃなくて…いろいろ保てなく、なりそうだから。
なりそうというか、もうなってる。
エレベーターだから我慢できてるだけだよ…。

なんとか部屋までたどり着いた。とりあえずドアを開けて彼女を先に入らせる。
まずここで「おかえり」のキスでもして、と思って自分が入ったあとドアを閉めたら、一足先に彼女が俺を抱きしめた。
驚いていると、キスしませんか、と呟く声が遠くに聞こえてきて、
さっきから少しずつぼろぼろと崩れていた理性の、最後のカケラみたいなものが、跡形もなく消えていくのがわかった。
キョーコ…そこまでしてくれてて、ここからどういう展開になりそうとか、
俺がどう出るかとか、ちゃんとわかってるんだよね。

「続き、したいな」
「…ベッド、で…いいですか?」

またしてもかわいいおねだりのご要望にお応えして…思う存分キスをしてから、そのボールを投げてみた。
やっぱりいつもとは少し違う返答が、彼女の様子を教えてくれる。
少し酔ってて…でも自分の意志で俺に返球できるくらいの状態には、あるんだね。
うん…ベッドに、行こうか。

念のため、ひとりでも大丈夫か聞いてから、先にバスルームへ連れて行った。
彼女が済ませて出るのを待って、自分も手早くシャワーを浴びる。
なるべく早く、とは思ったけれど10分くらいは経ってるだろう。
もしかしたら眠ってるかもしれないな…無理に起こさないほうがいいか。
ベッドルームへ入り、確かめるようにそっとベッドへ近づくと、
静かに目を閉じて横たわる彼女が目に入った。
やっぱり。
…アルコールが入ってるんだから、それも仕方がないよな。
可愛かったけどな…いつもよりちょっとだけ、いろいろ応じてくれそうな気もして。
あぁ…でもそういうのは違う。
相手の体調より己の欲望を優先させかけた自分を、改めて戒める。
今日を逃せば当分できないとか、そういうことじゃないだろう?
無理矢理なことを望んでるわけじゃ、ないんだから。
そう自分に強く言い聞かせて、ベッドへ入った。
俺が隣に来たことに気づいたのか、彼女が身じろぐ様子を見せた。
少ししてから、その耳元で小さく声をかける。

「ごめん、遅くなったね」
「ん。へーき…ごめんなさい」

今日はもう寝ようか?と訊いてみると、ふるふると首を振る。
今更がっつく必要もないと思いながらも断られなかったことが…俺はかなり嬉しかったらしい。
ごめん、キョーコ。でも嬉しいよ。
とっさに浮かんだ自己中心的な感想をそっと心にしまった。
そして、起き上がろうとする彼女をベッドにもう一度横たえて、軽くキスをする。
そこから、いつものようにそれを始めようとすると、彼女が小さく俺の名前を呼んだ。

「ん?」
「えっと…」
「…うん」
「今度はお風呂…」

首筋に埋めた顔を上げて、彼女と至近距離で目線を合わせる。

「一緒に、入ってね」

…なんだって?
いま、なんて……彼女の言葉を受けて必死に脳内回路を整理する。
えっと…風呂に…誘われたんだよな?
それも、今度は一緒にって…今日、今に至るまでにそんなこと、言われたか?
もし言われてたら、俺に限ってスルーなんてありえないはずだ。

「…じゃあ…今から入り直そうか?」
「い、いまはもういいの…っ」

…今日いちばんの衝撃かもしれない。
なんとか平静を装って言葉を返したけれと、内心では止めを刺されたようなダメージがひどい。
もし彼女のそんな気持ちを、帰宅した時点で察知できていたら、
それに対する多大な「ご褒美」がもらえてたわけで…あぁ、残念だったな…。
とりあえず次の約束をしてもらったとはいえ、今日一緒に入れたらきっと…いろいろと楽しかったはず、だから。
いやいや…次に…期待しよう…頑張ろう、俺。

もともと彼女の存在自体が俺にとってはもう、何ものにも代えがたいんだけど、
さらにその言動でも揺さぶられることがたくさんある。
いろんな感情を連れてきて、時には戸惑うことだって少なくない。
でもそれを嫌悪したことは一度もなくて、すべてはふたりでいるからこそ知る感情。
だから…愛しい。
それを今日は…今日も、身体を使って確かめたい。
なんて、もっともらしく大義名分を作ってみたりして、なんてことはない、ただ君を抱きたいだけなんだけど。
もちろん、それは君が相手だからであって、相手が君じゃなければそんなことは微塵も思わないよ。
少し自分勝手ではあるけれど、想いを投げかけて返ってくる反応を存分に楽しみたい。
君を相手にしてそれができるのは俺だけだと、改めて刻みたい。

今日の彼女は、いつもとは少し違うかもしれないけれど、
いくらアルコールが入ったとはいえ間違いなく本人だし、本質的には変わらない。
だったら、さっきから今までの発言や行動は、ちゃんと普段から彼女の中にあるものが出てきているわけで。
もっとキスしたいとか、だいすきとか、…一緒にお風呂に入ってくれとか…。

もちろん嬉しい、嬉しいんだけど…でも…もう、本当に勘弁してくれ…。
今よりもっと君に溺れてしまったら、本気で息ができなくなりそうだよ、キョーコ…。


2019.04.16 OUT
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