早く帰ってきてね -KYOKO

From -MARRIED

今日はいつもより少し早く起きた。
敦賀さんはまだ夢の中。起きたときにベッドに私がいなかったら、ちょっとだけ心配するかもしれないな。
外へ出かけてるわけじゃないから、メモを残したりするほどではないし、
目が覚めたらすぐに私がどこにいるか探しにくるかな、と思ってこっそり出てきた。

「おはよう…早起きしたの?」
そんなことを考えていたら、わりとすぐ、背後から声が聞こえた。
やだな敦賀さん、まだ眠っててもいい時間なのに…きっと私のせいで起きちゃったのね。
「ごめんなさい、起こしちゃいました?」
「ううん……あちこち…探したよ」
クスクス笑いながら敦賀さんが私を後ろから抱きしめる。
普段忙しいんだから、こんな日くらい、寝坊したって大丈夫なのに。
「もうすぐできますからね」
だからおはようのハグ、もうちょっと待ってね。
不思議そうな敦賀さんを背負ったまま、お弁当箱のふたを閉める。
これはこの人に食べてもらう今日のお昼ごはんなんだけど、むき出しだとなんとなく気分が出ないから、やっぱり包んでおこうっと。
「ほどいて食べてね」
「え?」
「今日のあなたのお昼ごはん」
「あぁ…そっか、そうだったね、ありがとう…嬉しいな」
お弁当を仕上げて、改めて敦賀さんと向かい合う。敦賀さん、なんだか嬉しそうにしてる。私も嬉しいな。
「おはようございます」
「うん、おはよう…」
なんとなくぼんやりしてる感じの敦賀さんをぎゅっと抱きしめた。
「残念…私もお休みしたかったな」
「うん」
ぼんやりしてる風なのはきっと、少しだけ気持ちがゆるんでるからなのかもね。だって彼はオフ、なんだもの。
いいな…。
オフがうらやましいというより、私もお休みなら一日一緒にいられるのに、っていう残念な気持ちのほうが大きい。
だって…だって今日の敦賀さんのオフは…結婚してから初めて。
だから、家に残る敦賀さんにお昼ご飯用のお弁当を用意するのも、初めて。
今日のことをふたりで話していてふと、気づいたの。
敦賀さん、ひとりでお家にいるなら…お昼ごはんだってひとりよね?
そのままほうっておいたら食事なんて二の次になりかねない人だもの。
そう思って、お弁当を作って出かけると伝えたら、最初は「そんな無理しなくていいんだよ」なんて言ってたけど…
でもきっとお弁当が置いてあれば、食べてくれるだろうと思って。
それに…普段はなるべく私が用意したものを食べて欲しいな、って思うの。
時代の流れに逆行してるかな。でも、それもほんとは彼のためというより自分のため。
そうすることで自分が、嬉しいの。
敦賀さんが、私の用意したものを食べてる姿を見るのは幸せ。
もちろん、無理はしないで、できる範囲でやるっていう約束でね。

「気をつけて」
身支度を済ませて玄関へ向かう途中、敦賀さんが私の指先にキスをした。
靴を履いてから敦賀さんのほうを振り帰ると、少ししてから顔が近づいてきた。
触れるだけ、のキスを交わして遠ざかる敦賀さんを見ていると、だんだん離れがたくなってきちゃった。
「ごはん、ちゃんと食べてね?」
「はい」
「食べたら電話してね。出られなくても、すぐかけ直すから」
「動画、送るよ」
敦賀さんの言葉に、ふたりで顔を見合わせると、いつかを思い出してどちらからともなく笑う。
うん、待ってるからね。
私もお昼頃、電話できそうなら電話するね。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ぎゅっと抱き合った後、もう一度キスをして、敦賀さんに小さく手を振った。
ドアを閉めて歩きだすと、当たり前だけど家から少しずつ離れていく。
あー、なんだかもう、引き返したい!
一緒にお弁当、食べたいな。
お互い逆の立場になったことは何度かあるの。私がお休みで、敦賀さんがお仕事っていうパターン。
その時の敦賀さんは出ていくとき、こんな気持ちになったかしら。おんなじようなこと、言ってた気がする。
そうだとしたら、私も耐えて、お仕事頑張ってこなくちゃ。その先にご褒美があると思えば。

「休憩入りまーす!」
スタッフさんの声で、はりつめた現場の空気がふっと緩んでいく。
時計を見ると、午後2時過ぎ。我ながら驚くほど急に現実に引き戻された。
世間のランチタイムはとっくに過ぎてる…お昼ごはん、食べたかな。
急いで楽屋へ戻る。
「あ…っ」
カバンをひっくり返して見つけた携帯電話を取ると、着信履歴がひとつ。
それから動画の着信がひとつ。
よかった、食べてくれたんだ。
自分のより、あの人がご飯を食べたかどうかのほうがすごく心配なんだって改めて思う。
ちゃんとした大人なんだけどね…私よりも年上、だし。だけど、ときどき食欲ほんとになくしちゃうみたいだから。

自分のお昼もそこそこに、動画を再生してみた。
きちんと固定して撮ってくれてる。
包みをほどいて、ふたを開けて、いただきますと、私にお礼のひとことと…美味しいと言いながら。
ふふ。
かわいいな。
少しずつ口に運んでもぐもぐしてるところ、見慣れてるはずなのに、なんだかかわいくて胸がきゅんとする。
ダメだ。まだ途中なんだけど早く声が聞きたい。
とりあえず電話をかけてみよう。
「もしもし?」
「はいはい…いま休憩かな」
「そうなの、遅くなっちゃって…」
「お疲れさま。見てくれた?」
「バッチリです。どうでした?」
「美味しかったよ、ありがとう」
えへへ。数時間前に別れたばかりなのにもう恋しい。
同じ機械越しでも、動画の声よりちゃんとキャッチボールができる電話のほうが全然嬉しいな。
「キョーコは?食べたの?」
「ううん、これから」
そう言われて、テーブルにあるお弁当に手を伸ばした。あ、これはわりと評判のいいお店のやつだ。こっちはこっちで楽しみかも。
「休憩終わる前に食べないとね」
「うん、大丈夫」
一緒に食べたかったな。
でも、いつでもだいたい好きなときにこうして電話でお話できるだけでも…ちゃんと幸せ。
帰るところが同じになって、もっともっと幸せになった。
今日はこの現場だけだから、終わったらすぐに帰るね。
「どれくらいかかりそう?」
「ん?私?」
「うん」
「そうね…私の出は、あとシーン3つくらいかな」
「そっか」
「がんばるね…夜は一緒にご飯、食べましょうね」
結構長廻しのシーンもあるから…やっぱり夜にはなっちゃうかな。せめて私はNGなしで終われるように頑張らなきゃ。
「…キョーコ」
「なぁに?」
「ひとりで寂しいから、早く帰ってきて?」
「なっ…つ」
「待ってるよ」
「う、は…はいっ」
二の句の継げない私をよそに、クスクス笑う声がして、じゃあ切るよ、と続いて通話が終わった。
や、やだ…いまなんて…?
寂しいから早く帰ってきて、って…私に、敦賀さんが。言ったよ、ね?
画面の終話ボタンをタップして、今の会話を何度も反芻する。
あのひと…そ、んなこと、いままで言ったことあった?
はーーー!!
どうしよう、ものすごく破壊的…!
ヤバい…ドキドキしてきた。
新婚のダンナ様がいそいそと帰るのってきっと、あんなふうに「さみしいから早く帰ってきてね」って、
奥様から可愛く言われるからなんだわきっと…!
あーー!やっぱり今すぐ帰りたい。どこかで仕事をしてるならともかく、お家でひとりでいるなんて…
そんな敦賀さんの隣にいられないなんて…もったいない。
なんて思いながら、自分を落ち着かせるために胸に手を当てて、なんとかお弁当に手を伸ばす。
とりあえずもういっかい動画見て、気持ちを収めよう…一緒に食べてるみたいに…なれるよねきっと。
帰るまで、それで持たせなきゃ。
…ああんもう、ダンナ様のバカバカバカ…!
このあとNG出したら、あなたのせいですからね…多分!

なんだか味がよくわからないままお弁当を食べ終える頃、
画面の向こうの敦賀さんも食べ終わった様子で、こちらを向き直るのが見えた。
あ、完食だ…よかった…。
ん?
「おいしかった、ごちそうさま。今日はありがとう、キョーコ…世界でいちばん、愛してるよ。午後も撮影、がんばって」
……えっ……!?


2019/04/26 OUT
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