秘密の恋人 -REN

From -PatiPati's Thanks TEXTS -SERIES*SEASONS OF LOVE2 LOVERS

お疲れさまでした、はい、じゃあまた明日、よろしくお願いします。
そんな風に礼儀正しく丁寧に先輩への挨拶をする彼女を、どこか遠いものを見るように眺めていた。
だけど言葉に続けて笑顔を見せる目の前の『後輩』には、きちんと自分も笑顔を返す。
頭を下げてくるりと身体を翻し、遠ざかっていく小さな身体に、危うく手を伸ばしかけて、そして思いとどまる。
…『先輩』稼業も、楽じゃないな…。

「後でキョーコちゃんとこ行くのはいいけど、気をつけるんだぞ。どこで誰が見てるか」
「わかってます、大丈夫ですよ」

形式どおりに釘を刺す隣のマネージャーに、俺も形式的に答えておいた。
だいたいこの人達、というのには事務所の社長も入っているんだが、
彼らはスクープを本当に嫌っているんだろうかとさえ思えることがときどきある。
彼女とのことは反対されたことは一度もないし、
マネージャーの社さんなんかもう泣き出さんばかりの勢いで喜んでいた。
まあ…あの2人は俺と彼女のことをよーく、知っているわけで。

「じゃあ、また明日。今日はこれで終わりだけど、あんまり夜更かししすぎるなよ~」
「はい、お疲れさまでした」

彼女が消えたドアの横を通り過ぎて、俺と社さんはそれぞれの部屋へと入っていく。
荷物を置くまもなく、その中の携帯電話を手に取った。
鏡の前の椅子に腰をおろし、彼女へ直通で回線を開く。
誰にも秘密な関係、でも、こういう時には誰も割り込めない。
仕事で来ているだけのはずなのに、そして彼女は表向きには共演者というだけなのに、
こうやって誰にも邪魔されず一対一で触れ合える時間になると、どうしても、その立場を忘れてしまう。
だって彼女は、共演者である前に俺の恋人、なわけで。

「もしもし、キョーコ?」

向こうが回線を繋いでくれた瞬間に、確かめもせずその名を呼ぶ。
京子、ではなく、キョーコ。
読みは同じでも俺にとっては天と地ほども違う、彼女の本当の名前を。

『はい、キョーコです』
「部屋にいる、よね?」
『いますよ、お庭眺めてました』

彼女の声がいつもプライベートで聞くのと同じ調子でほっとする。
やっぱり…仕事だと思うと少し固くなるんだろうか。
そして彼女の言葉を受けて窓の外の庭を見る。
夕方を少し過ぎたところで、まだ暗くなる気配すら見せないその景色の向こう、
中ほどにある大きな丸い石が目に入って、彼女がそれを見ていた理由をひとりでこっそり納得した。
俺のひとりよがりでなければ、だけど。

「さっきはちょっと他人行儀で傷ついたな…」
『何言ってるんですか、いつも通りにしてたらバレちゃうもん、できません』

ああ、やっぱり。
そうだよな。
君はプロ意識の塊みたいな人だから、例え恋人である俺と一緒の仕事でも
ほとんど女優の顔を崩したりしない。
それはそれで少し寂しい、のも本心だけど、俺はそんな君も本当に好きだ。
君の一生懸命なところが、よくわかる。

「俺は結構いつも通りにしてるけど」

そう、そして俺はそんなに器用じゃないことも、君を好きになってから気がついた。
多分傍目からはわからないんだろうが、君が好きだと言う気持ちが仕事場であっても
自分の何気ない言葉からそこかしこに飛び散っているはずだ。

『だったらなおさらですっ、もう…』

俺の言葉に呆れた彼女の、すねたような、そしてその後にくすくすと笑う、そんな声すらも心地よくて。
君が、本当に好きだよ。
言葉を交わす時間も長くない、面と向かって気持ちを伝えることもままならない、
そんな関係でも、想いは褪せるどころか深まるばかりで、それをどうして伝えたらいいのか、いつも考えてるんだ。

「そこの部屋から見える?あの大きな石」
『うん、見えます』
「聞いた?」

ここのホテルは日本庭園が有名だ、ということの他に、その庭の中にとりわけ有名なものがある。
それがあの大きな石で、なんでも、恋に効くと言われているらしい。
想いが成就する、という意味だけならもう必要はないけれど、
想いが通じ合った恋人同士でもそのご利益は変わらない、と聞けば、
きっと彼女も興味を持つんじゃないかと思っていた。

『恋人同士で、ってやつですか?』
「行ってみようか?」

その庭は、ホテルのどの部屋からでも見えるように設計されている。
だから本当はそんなところに2人きりで行くなんてことは、言語道断だろう。
だけど。

「明日、休憩時間にでもきっとそんな話が出るよ」
「…そうですよね…えへへ、楽しみかも」

俺の言葉の意味を少しだけ巡らせる。
彼女が気づいて、嬉しそうに笑う。
そう。2人きりじゃなくたって、俺と君さえわかっていたら、きっとご利益がもらえる。
恋人同士で行ったことと、変わらなくなるから。

「だから、そのうち…今度は2人きりで来よう。約束」

今は、ただ2人で外を歩くこともはばかられるけれど、
俺と君の関係が変わらなかったら、いつかは2人で好きなところに行ったりできることだって叶うはず。
君と出逢ってから未来の話をするのが好きになった。
だから、たくさん、いろんな約束をしよう。そして未来の夢を見よう。
そしてそんな夢をひとつずつ、現実にしていこう。

「それとも…夜、こっそり行こうか?」

彼女に怒られることを前提に、そう告げた。
庭がライトアップされてとても綺麗なのを、今日君も、話していただろう?
闇にまぎれてしまえば、誰にも邪魔されないんじゃないかって…
俺もまだまだ、修行が足りない、かな。


2008/12/30 OUT
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