花冷え -REN

From -PatiPati's Thanks TEXTS -SERIES*PIECES OF 12 SEASONS

ロケ先のホテルの部屋を、人に見つからないようにそっと抜け出した。
まあ…拘束時間以外は自由行動だし、社さんもプライベートまではとやかく言わない。
だけど少しだけ、見つかったら困る理由が、あるんだ。

「もしもしキョーコ?」

周りに誰もいないのを確認してから、指先で遠い恋人との回路を開く。
見つかったら困る理由というのはこれ。
別に俺が夜中にどこに行こうと構わないし、外に出て電話というのももちろん自由。
ただし、その相手が恋人となると、話が変わってくる。
俺はそんなのももちろん自由だとは思っているけれど、
どこから俺と彼女のことが露見してしまうかは、わからないから。
だけど、いつの間にか身についてしまったその慎重さも
彼女の声を聞いてしまえば、頭の隅に移動してしまうみたいだ。
そして自分の声がワントーンあがっていくような気がした。

「ああ、部屋じゃないんだ。外。ホテルの中の庭にいるんだよ」

ホテルの敷地内にある庭園の桜がとても綺麗で、
それを、遠く離れた東京にいる恋人にどうしても見せたかった。
ここは、東京よりもずいぶんと北にあるから、
桜の開花時期がそのぶん遅いらしい。
もうとっくに終わってしまっている桜を、彼女と一緒に見られたら…と思ったんだ。

「うん、そう。桜。綺麗だろう?今がちょうど見ごろなんだって」

地方へロケに出ているときには、よくTV通話機能を使う。
しばらく逢えなくて、なんとなく寂しくて声だけでは物足りない。
近くにいなくても、とりあえず1日1回は彼女の顔を確認できれば、少しは収まるから。

「すごく綺麗だよ…キョーコにも見せたいな、ちゃんと見える?」

桜に感動している彼女に、もっとちゃんと見せてあげたくて
携帯電話を桜の木にかざしてみた。
距離は遠く離れているけれど、まるで一緒に桜を見ているような気分で、
俺も思わず心があたたかくなってくるのがわかる。

今年は2人でゆっくり桜を見に行くことができなくて、余計になのかもしれないな。
それに、行事ごとに特別こだわるつもりもないけれど、
彼女と何かを共有できる、そんな機会があるのなら、ひとつも逃すわけにはいかない。
もちろん義務じゃない。だけど、やりたいと…強く思うこと。
それも多分、彼女のために、というよりも、俺のために。
ああ、もちろん君が喜んでくれそうなことは、なんだってやるつもりだけどね。
結果的には、喜ぶ君の顔を見ていたい自分のためなのかもしれない、なんて。

「ん?…あぁ、ちょっとだけ。大丈夫だよ、厚着してきた」

画面から空気でも伝わったんだろうか。
電話の向こうの彼女が心配そうに、寒くないのかと問う。
夜だし、北国だし、で、彼女の言うとおり少し寒いけど、心のほうはぽかぽかしてる。
だけど、彼女を困らせる趣味はないから、残念だけどそろそろ部屋に帰ろうかな。

「うん、ごめん、そろそろ戻るよ。部屋でまた電話してもいい?もう眠い?」

困らせる趣味はないと言いながら、しつこく食い下がる自分が可笑しい。
可笑しいけど、でもやっぱりこれだけじゃ足りないからもっと声が聞きたくて
彼女の答えを待つ。
まだ、桜の話しかしてない。
今日1日のことをいろいろ聞きたいし、他愛ない話で君と繋がっていたい。
直接逢えない分、たっぷりと充電しておかないと、すぐに干上がってしまいそうだ。

「ありがとう。じゃあ、ちょっとだけ待ってて。すぐ戻る」

俺のことを心配しながらも、彼女のくれた一番いい返事を胸に、歩き出す。
このまま部屋まで戻りたいけど、名残惜しいけど、5分もすればまたすぐに繋がれる。
何度も確認してから通話終了のボタンをそっと押した。
冷たい空気に包まれた手の中で、携帯電話の電池部分だけがこっそりと熱を持っている。

これが彼女が代わりにくれた、花冷えのお守りかな、なんて思いながら
幸せな気持ちでエレベーターに乗り込んだ。


2008/04/24 OUT
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