長閑 -REN

From -PatiPati's Thanks TEXTS -SERIES*PIECES OF 12 SEASONS

想いが通じて、晴れて恋人同士になって、その時はそれだけで十分だと思っていた。
そしてすぐにそれだけでは物足りなくなっていくのに気づいて、内心苦笑した。
だけど、そんな気持ちを誰に止められるだろう。
始めは好きでいられることがただ幸せだった。
目で追って、言葉を交わせればそれが嬉しくて、笑顔を見ればつられて笑顔になって。
自分の気持ちを受け入れて欲しくなるのにそれほど時間はかからなかったけれど、
その期間が長かったせいか、想いが通じた時には本当に嬉しかった。
彼女さえいてくれたら、もう、何もいらないと思った。
今もその気持ちに嘘はないけれど、やっぱり…どんどん欲張りになっていく。

まだ明るい中、自宅のドアを開けた。
珍しく仕事が早く終わったからなのだけど、嬉しい気分の理由はそれだけじゃあ、ない。
玄関先に俺のよりも小さな靴が揃えてあるのを見て、心が躍る。
今日は、彼女とここで待ち合わせをしていた。
待ち合わせと言ってもどこかへ出かけるわけでもなく、ただ、2人でこの部屋で過ごす。
その、ただ2人で過ごすことが、俺にとってはかけがえのない時間だ。
彼女さえいてくれたら他には何も、というのは決して言い過ぎじゃない。
だから、どこかへ気軽に2人で出かけることができない状況でも、俺は十分、幸せだ。

「キョーコ?」

リビングへ抜けて名前を呼ぶけれど、その姿が一向に見えない。
今日は彼女の来る時間も定かではなかったから、帰宅のチャイムも鳴らしていないし、
気づいてないんだろうかと思ったけれど、リビングにいないならどこにいるんだろう。
そう思って見回すと、朝よりも少し綺麗になっているのがわかった。
きっと早く来た彼女がいろいろと家事をやってくれたんだろう。
心の中が静かな感動で満たされていく。
彼女が家事をやってくれるのは、特に珍しいことじゃない。
恋人同士になって、ここへ来てくれるようになってからは、毎回のように何かをやってくれている。
食事だったり、洗濯だったり、掃除だったり。
一緒にいられるだけ嬉しいのに、そんなことまでさせてしまって申し訳ない、と
いつも彼女に言うのだけど、彼女は何も気にしていない様子で、
俺が嫌じゃなければやらせて欲しいと微笑む。嫌なことが、あるわけない。
ただ、そこまでしてくれてる彼女に何も出来ない自分が歯がゆくて。
それから…あらぬ期待をしてしまう自分が、恨めしくて。

ベランダへ近寄ると、床に空のカップが置いてあるのに気づいた。
よく見たら窓の施錠が解かれていて、床のカップと共に彼女の痕跡を微かに残してくれている。
床に座って、ベランダからの眺めと一緒にひとりでお茶でもしたんだろうか。
ソファの上にはたたんだ洗濯物がつまれていて、そのさりげなさがかえって胸に残る。
毎日、当たり前のことじゃないから、なんだろうか。
それが当たり前のことになっていったら、そんな風には思わないんだろうか。
多分…そうじゃない。当たり前であることに、きっと深く感謝するだろう。

カップをリビングのテーブルに残して、ベッドルームのドアを開けた。
大きなベッドの上に小さく丸まっている影が見えて、ほっとする。
良かった、ちゃんといてくれた。
近づいてその上から覗き込んでみると、すうすうと小さな寝息を立てて彼女が眠っていた。
お昼寝、かな。気持ち良さそうだ。寝顔が可愛くて、自然と自分も笑顔になる。
自分よりも先に彼女が部屋にいてくれることが、そう頻繁にあるわけじゃないから、余計に嬉しい。
だってキョーコ、こうしていたら、まるで君と一緒にこの部屋で暮らしているみたいじゃないか…

「キョーコ、ただいま…」

ブランケットを握っている手に、自分のそれをそっと添える。
どんな夢を見ているんだろう。
完全に起こすつもりもないけど、何となく、おかえりなさいと言って欲しくて、先に彼女に帰宅の挨拶を呟く。
薄く目を開けて、俺を確かめるように目線を少し往復させてから、彼女がにっこりと笑った。

「えへへ…本物、じゃないよね、敦賀さん…ありがとう…」

ありがとう、って…それを言いたいのは俺の方だ。
寝起きの無垢な彼女に誘われて、静かに、ゆっくりとその身体を抱きしめようとすると、
その前に彼女が俺の手にそっと唇をあてた。そしてまた、目を閉じる。
改めて、柔らかく抱きしめてみる。
ふんわり漂う柔らかな香りを吸い込んで、俺も目を閉じた。
目を閉じて、本物じゃないと言う言葉の中に隠された彼女の想いをたどる。
俺がこんなに早く帰ってくるとは思わなくて、
眠ってから見た夢に俺がでてきて…なんて、あるわけない、か。
そう思ってくれていたら、嬉しいのに。

キョーコ。
君がこの部屋で過ごす時間が増えていけばいくほど、俺はその先を夢見てしまう。
この部屋で時々一緒に過ごせるだけで十分だと思っていたはずの俺は、その先を思ってしまう。
いつもここにいてくれて、毎日おかえりなさいと言ってくれて、
そんな君に逢いたくて俺はいつも仕事が終われば飛んで帰って…。
2人で逢うのはとても嬉しくて、楽しくて、なのに君を送っていく時間のことが気になりはじめて、
そのたびに、ずっとここにいてくれたらどんなにいいだろうと、思わずにはいられない。
君がこの部屋のことをいろいろしてくれるのも、食事を作って俺に食べさせようとしてくれるのも、
最後にはすべてがそこに繋がっていくようで、夢のような気持ちになると同時に、少しだけ寂しくなる。
先を願ってはいるけれど、肝心なその先が見えないままの状態で、どうして君にそんなことを言えるだろう、と。
過ぎた望みを持ってしまう自分が、愚かしく思える。

だけど…やっぱり君がこうしてここにいてくれるだけで本当に幸せだ。
ことあるごとにここに来てくれて、自分のことのようにいろんなことをしてくれて、
そして眠くなったら俺のベッドの上で安心して眠ってくれて…俺を見たら笑って名前を呼んでくれて。
悲観的になったりもするけれど、君を見れば何もかも理屈じゃないんだということに気づかされる。
君を手に入れることができたのに、何を嘆くことがあるんだろうかと。

今日はありがとう、キョーコ。いや、いつもありがとう。
これからも懲りずに、俺のそばにいてくれたら、本当に嬉しいよ。
君がしてくれることの10分の1もしてあげられないけれど…
それでも俺を選んでくれた君が、愛おしくてたまらない。
窓からさす光にとけそうな寝顔を、間近にしながら、やがて意識がとろとろとしていく。
君と2人で過ごす、のどかで幸せな、昼下がり。



2008/12/23 OUT
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