泣きじゃくる小さな女の子と、どうやら目標の点に達しなかったらしい答案用紙。
母親に叱られると言いながら悲しそうに涙を流すその姿を目の前にして
どうすることもできず、慰めようとしても手を伸ばしたその先の術を知らずに、ただ…。
どこかで見たような風景を遠くから眺めているような視界。
俯瞰で入ってくるその景色から、それは夢なんだということがわかるけれど
遠い昔に実際に経験したことのあるものなのは、自分でもよくわかる。
ああ…。
その頃の自分ではどうすることもできなくて当然だろう。
それからずいぶん時が経ってもまだ、泣いている女の子の前では少し身構えてしまう。
もっとも、自分の中でいう女の子は、ただひとり、なのだけど。
過去の自分がおろおろする様子を見ているうちに、
段々と意識が混濁してきて現実のそれとゆっくり混ざっていく。
弾かれるように目を開けると、そこに広がるのはいつもの風景。
腕に感じる少しの重たさ。
今日は彼女が泊まっていたんだったな、そう言えば。
脳裏に浮かぶ夢の景色と少しダブって見える彼女の姿が
どうしようもなく愛しくなり、思わず抱き寄せてしまう。
いまだ夢の世界にいる君は、今どんな夢を見ているんだろう。
俺は、またあの頃の夢を見たよ。
どうしてだろう、今は滅多なことでは泣いたりしない君の泣き顔があまりに悲しそうで
何も出来なかった自分を今でも歯がゆく思うからだろうか。
もっとも君はすぐに泣きやんで、次の目標へ意欲を燃やしていたっけ。
やっぱり今とあまり変わらないな。
変わったことといえば…
「恋人」として、ふたりでいられるようになったこと。あの頃以上に、君が可愛くて仕方がないということ。
俺がそれに囚われてしまってどうしようもないということ。
少しだけ開いたカーテンの隙間から流れてくる風はどことなく重たくて湿り気を帯びている。
今日は雨の予報だったかな。
それでなのか…宝物のような思い出の中でも、少し苦味のある部分を思い出したのは…。
「ん…」
不意に腕の中で彼女がもぞもぞと動く。
目覚めたのかと思ってしばらく観察してみても、そこからまたぱったりと動きが止まって
その代わりに、すぅ…と密やかな呼吸音。気持ち良さそうだ。
キョーコ…もう少ししたら起きないとダメだよ…。
まぁ、いいか…。
そんなに慌てる時間でもないし、アラームが鳴ってからでも遅くはないだろう。
「…かー…さん…ぃかないで…ぇ…」
寝返りを打ち、こちらを向いた寝顔を見つめていると、
眉間に皺を寄せて突然彼女が呟いた。
その言葉に心臓を掴まれた気がした。
夢を…見てるのか…母親に置いていかれて、泣きながら追いかけてる夢を…。
どこまでシンクロすれば気が済むのかと苦笑しながら、
はっきりと思い出せるその泣き顔に文字通り胸を締め付けられそうになって
抱き寄せたその身体を、髪を、宥めるように撫でた。
こういう風に、俺と過ごすようになって
呆れられるくらいの俺の「好き」や「愛してる」を言葉や態度や行為で表現しても
今の彼女を取り巻く状況が過去のそれとは驚くくらい変わっていても、
彼女の奥深くにはやっぱり未だ癒されない部分があって、
それはきっと俺が何かしたところで、簡単にどうにかなるものじゃ、ないんだ。
今でも俺じゃ、代わりにはなれないかもしれない。
代わりになんてなれないことくらい、わかってる。
だけど、遠い昔、母親から受け取るはずだった分の愛情を、
いや、それ以上の愛情を今の君に…これからの君に。
そうだ。今日はいつもより早く上がれるはずだから
久しぶりに外へ食事にでも行こう。
撮られることを怯える君だけど、そこは、上手く社さんを共犯に巻き込んで、ね。
あの人は、そんな役回りにはいつだって快く応じてくれるはずだから。
楽しい想い出をたくさん作って、君の心の中に貯めていって
辛い記憶を思い出すときにも、少しでも心穏やかでいられるようになるまで。
あふれるほどの愛を君に。
髪にそっと顔を埋めた。
柔らかな感触と、鼻腔をくすぐる甘い香りに、陶酔してしまう。
朝からこんな風じゃ、本当に先が思いやられる。
キョーコ。
君は突然思いついた俺の提案を承諾してくれるかな。
ビックリして、それから笑ってくれる?
いつもみたいにはにかんで、そして俺を抱きしめてくれる?
ああ早く動く君に逢いたい。
だから起きて…キョーコ。
もうすぐ時間、だよ。
そして、今日も変わらず君に「愛してる」と伝えよう。
2006/05/30 OUT