お庭に面した窓から気持ちのいい風が入ってくる。
都会よりはずっと涼しいところだし、身体が感じる温度も違うんだけど
それ以上に強力なのが、畳の効果、かな。
私はもちろんだけど、敦賀さんがすっごく気に入ったみたいで、さっきからずっと寝ころがったまま。
旅館の人が挨拶に来てから後は実質2人きりだし、
ここはお部屋がそれぞれ独立した造りになってるから、
自分たちから出て行こうとしなければ、もちろんいつまでも私と敦賀さんの2人きりだからできることかしら。
眠る時間や次の日の仕事を気にしないでいいせいか、いつもよりずーっと、純粋に一緒の時間を楽しんでいられる。
お休みもらって、ほんとに良かった…。
コップの水滴が敦賀さんの顔に落ちないように気をつけて、お茶をひとくち飲んだ。
冷たい緑茶が喉を滑っていって、なんともいえない甘みが後に残る。
畳の上でゆっくり、なんて普段はないことだから、それだけでもなんだか涼やかな気持ち。
通り抜けていく風も、夏の顔なのにどこか秋の気配を潜ませてるように思えて、
いつもはなかなか気づかない、季節が移り変わっていく本当の境目にいるみたいな、そんな感じ。
敦賀さんと一緒にいることと、目の前の自然と。今はその2つにだけ向き合っていればいいからかもしれない。
「…あー…涼しいね…すごく気持ちがいい」
「うん…ここにして、よかったですね」
「だね。散々悩んだ甲斐が、あったかな」
「候補がたくさんありすぎて、生きてるうちには全部行けないかも」
「んー…全部、行ってみたいっていうのはやっぱり欲張り、か」
敦賀さんが私を見てつぶやく。
そして言葉を選んで続けながら、手を伸ばしてきて私の髪に触れる。
つられて私も敦賀さんの髪をナデナデ。
自分以外の人の髪なんて、そうそう触れる機会もないと思うけれど、
敦賀さんのそれにはずいぶん触れさせてもらってきたなあ、なんて、ちょっと感慨深い。
初めての時は、触ってる時の気持ちよさに、ちょっと驚いたな。
年数としてはそんなに昔のことでもないはずなのに、ずーっと昔のことのような気がするから不思議。
ずいぶん、一緒にいるのね。私たち。
「キスして?」
ふと目が合ってすぐに敦賀さんがそんなことを言った。
敦賀さんの頭は私のももの上にあるから、キスするのは簡単だけど…、
と思っていると、敦賀さんが私をぐいっと引き寄せてキスをした。
もう。
キスして、って言うから、どうやってしようかなって考えてたところだったのに。
そういえばこの人の「キスして?」は、「キスしよう」「キスするからね」と同じことだったっけ。
「下りてもらってもいい?」
「ん」
じゃあ…、と少し考えて、敦賀さんにしてあげてた膝枕をやめた。
そして全身を横たえた敦賀さんの上にそーっと覆いかぶさってその唇を塞いだ。
えへへ、大サービス。なんて自分で言ってみたりして。
でも結局、私も敦賀さんとキスするの、すごーく、好きなのよね…。
「んん…」
お約束と言いますか。
普通のキスでは済まなくなって、あげくに下だった敦賀さんがいつの間にか上になってる。
仕方がなくてそのまま彼のしたいようにまかせておく。
そのうちまるで、そういうことをする前、のモードになって少し焦ってたら、
しばらくしてから唇がゆっくり離れていって、私と敦賀さんの間にすきまができた。
風が、敦賀さんの髪を揺らしていく。
綺麗…この人、なんて綺麗な人なんだろう。
髪だけじゃなくて、頭のてっぺんからつま先まで、カッコイイ、の一段上にいる感じ。
「しよっか」
「へ……?って!ダメですよっ、ま、まだご飯どころかお風呂にも入ってないのに」
しかもこんな時間からしてて、食事なんて持って来られちゃったら、どうすればいいのよっ。
慌ててそう口走ると、敦賀さんはそれも予想内のような涼しい顔をして
じゃあ…と言いながら身体を起こして、ついでに私も起こしてくれて、それから耳元に唇を寄せた。
…ん?
「ちゃんとお風呂に入って、ごはん食べて、夜になってから」
そ、そんな予告みたいにされたら、今しちゃうよりずっと…ドキドキするじゃない。
言い方からして狙ってるとしか思えない。
だって艶めいた低音が耳の中を愛撫していくのは、そんな時とまったく同じなんだもの…!
だけど私は多分それには抗えずに、こんな風にドキドキしたまま、夜まで待ってしまうと思うの。
日常の、とても幸せだけど雑多なことから解放された分が、全部敦賀さんに回っちゃってる。
だから…いつもよりずっと身体の中を占める敦賀さんの割合が多くて、一挙手一投足に敏感に反応しちゃう。
嫌じゃないけど、心臓が鼓動を早く打つ。なんだか、恋人だった頃みたいで、照れくさい。
好きな人と生活を一緒にするってすっごく幸せなことなんだ、って今でも思ってる。
毎日、敦賀さんと同じ場所に帰ってきて、プライベートな時間を一緒に過ごして……それが本当に幸せ。
だけどこんな風に、非日常の場所で敦賀さんと2人きりでいると、さっきも思ったみたいに、
私のほとんどの部分が敦賀さんに向かってるせいで、
一緒にいることの意味とか、敦賀さんへの気持ちとか、そんなものを再確認できる。
日常を離れて2人でどこか別のところで過ごす、って、お互いのこととか関係を改めて考えることができる
大切な機会のひとつなのかもしれないな、って。
とは言っても、敦賀さんへの気持ちってことなら、私は普段と何一つ、変わらないんだけどね。
好き。愛してる。って…あはは、やっぱり…言葉にするのはちょっと恥ずかしいかな。
そんなことをとりとめもなく思ってたら、敦賀さんの顔がもう一度近づいてきた。
少なくとも私は、こっちの方が気持ちを上手く伝えられるかもしれない、なんて思いながら
ちょっとだけ長めにキスをした。
2010/09/03 OUT