なつよい 1 -KYOKO

From -OTHERS

撮影が終わって、挨拶もそこそこにタクシーをつかまえた。
約束の時間を過ぎてることに焦ってみたけど
車の速さは変わらなくて、せめて目的地に着くまでは、と、シートに身体を沈みこませる。

悪いことをしたわけじゃなくて…
今日は、敦賀さんと2人、社長さんからご招待を受けてるの。
社長さんのお家のすぐ近くの花火大会。
大きなベランダからすごく間近で見られるらしくて、
マリアちゃんからも、絶対来てね、って言われてて、すごく楽しみにしてたの。
今も、実は顔が緩んじゃって仕方ない。
規模の大きな大会で、新作の花火も多くてとても綺麗だっていう話だし、
何よりも…敦賀さんと一緒に花火、見られることが一番嬉しい。

なのに仕事で遅くなっちゃった。
がんばったんだけど、私1人の力じゃどうにもならないし。
だからせめて、早く着かないかな。
無意識に、フロントガラスの向こうを窺ってしまう。
タクシーの中じゃ、電話もできない。
出る前にこっそり電話した時には、もう敦賀さんは着いてたみたいだった。

早く逢いたい。
そう思いながら、車窓をながめていると、やっと見慣れた景色に行き着いて、
車が事務所の玄関前に滑り込む。
そして…タクシーを降りたらすぐに目に付く、少し離れたところに停まっているロールスロイス。
あ、あれがお迎えの車なのね。
社長さんのお使いらしき人に促されてシートに腰を下ろす。
車が走り出してしばらくしてから、敦賀さんに電話をしてみようと思って携帯を取り出すと、
メールを受信していたのに気付いた。

敦賀さんだ…。

今、どのあたり?…だって。
もうすぐです。
電話はやめて、メールを返信する。
もうすぐだから、待っててくださいね。遅くなって、ごめんなさい。

*

社長さんのお家に到着して通されたお部屋は、ゲストルームだってことらしくて
ベッド、ソファ、テーブルなんかのひととおりの調度品が揃ってる。
天井からはシャンデリアに模した照明が輝いてて、とっても素敵。
窓にはドレープがたくさんのカーテン。
全体的に花柄が使われてて、すごくロマンチック。
これで天蓋があったら、完璧にお姫様の寝室みたい…。
嬉しくなった私は、思わずベッドに飛び乗ってみた。
わあ…このベッド、少し大きめなのね。
敦賀さんのお部屋のものよりは小さいけれど…
と、そこまで思い出して、急になんだか恥ずかしくなる。
なんで、こんな時に敦賀さんのベッドなんか思い出しちゃうんだろ…。

そ、そうよ、それよりも、マリアちゃんに言われてたこと。
早く浴衣に着替えて、みんながいるところに急がなきゃ。
ソファに畳んで置かれていたそれらしきものを取り上げてみる。
白地に、ピンクとブルーのお花がちりばめられていて、
帯は青い半幅…と、これは…上に結んだらいいのかしら?
レースとシフォンで綴られたふわふわの帯も添えてある。
あと、椿の髪飾り。

「これは…髪をアップにしなきゃダメってことよね…」

少し前、マリアちゃんに着付けが出来るかどうか聞かれて出来ると答えたはいいけれど…上手く着れるかしら。

「可愛い…」

ベッドの横に置かれていた姿見に向かって着付け始めると
浴衣の全体の模様がよく見える。すごく…可愛いな。なんだか私にはもったいない。
マリアちゃんが選んでくれたらしいけど…なんだかここまでしてもらっちゃっていいのかしら。
花火をみんなで…敦賀さんとゆっくり見られるだけでも、十分なのに。

「あ、そうか…下着…は、このままで、いいかな?」

ひとりで鏡に向かいながら、急ごしらえではあるけれど、なんとか着られたみたい。
ふわふわの帯を結んで、おかしなところがないかくるりと回りながら確かめてみる。
唯一、浴衣用の下着じゃないところがおかしいといえばおかしいけれど、
別に人ごみの中を歩き回るわけじゃないし、いいわよね。

久しぶりに見た自分の浴衣姿。
やっぱり着物とは違うけれど、でもなんだか夏って感じがして、すごく新鮮。
…敦賀さん、何て言うかな…?
そういえば、敦賀さんは何か着替えたりしたのかしら。
さっき、電話した時にも特に何も言ってなかったけど。

「キョーコ?入るよ」

そう思ったその時、コンコン、というノックの音がして、次に敦賀さんの声が聞こえた。

「はーいっ」
「様子を見にきたんだけど…」

髪をまとめ終わったところで返事をしたら、敦賀さんがお部屋の中に入ってくるのが見えた。
その姿に私は思わず心臓が止まりそうなくらいビックリしてしまう。
何着てるのかな、って思いはしたけど、ま、まさか敦賀さんまで浴衣、着てるなんて…。

微笑みながら近づいてくる敦賀さんの顔を、まともに見られない。
暗めの色だけど、決して地味じゃなくて、規格外な敦賀さんの体格にきちんと合わせて作ってある、
とても仕立ての良さそうな浴衣。
ただ、和服を着たっていうだけなのに、眩暈を起こしてしまいそうに…素敵…。
普段は、特に敦賀さんの容姿のことをあれこれ思うことなんてないのに、
どうしよう、今日は見た目だけで、心臓が…ドキドキしちゃう…。
この人…本当に本当に、格好良い人なんだ…。

「一応お祭りだから、って、着せられた。というか、教えてもらって自分で着たんだけど、変かな?」

私の態度を不審に思ったかどうかはわからないけど、照れくさそうに敦賀さんが言う。
初めて着たみたいな言い方だけど、すごく着慣れてる感じすらしてしまう。
何を来ても似合う人って、すごい…。

「ううん、すごく似合ってる…ビックリしちゃった、敦賀さんも浴衣着てるなんて思わなくて」
「キョーコもすごく、可愛いよ」

私がやっとのことで返した言葉を塞ぐように、敦賀さんがそう言うのとほぼ同時。
伸びてきた腕に捉われて、あっという間に敦賀さんの身体に閉じ込められてしまう。

「お、おかしくないですか?…1人で着たからちゃんとできてるかわからなくて」
「ううん、大丈夫。ちゃんとできてるよ」
「よかった…マリアちゃんがね、選んでくれたんだって」
「うん、すごく楽しみにしてるから、早く見せてあげなきゃ」

抱きしめられたまま続く会話。
いつもと変わらないけれど、次第に鼓動が早くなって、
これから人前に出る状態じゃなくなっていくみたい。きっと顔も赤いかも。
それに…離してくれないと、髪飾りつけられないです…。

「あとは、これで終わり?」

私の言葉が聞こえたのかどうか、敦賀さんが私を抱きしめたまま、
もう片方の手に髪飾りを取った。

「あ、うん、そう…かな。そうだ、敦賀さん、差してもらえますか?多分私上手く出来ないと思う」
「えっと…こんな感じでいいのかな」

確かめようとして鏡の方を見ると、浴衣姿の敦賀さんに抱きしめられてる自分が見えた。
抱きしめられてることなんて…もはや日常茶飯事なはずなのに、途端にドキドキしてしまう。
ど…っ…どうしよう…なんか今日の私おかしい…っ

「あ、ありがとうございますっ…」
「髪、伸びたね」

私を抱きしめたまま敦賀さんが呟く。
こうやってアップスタイルにできるくらいだもんね。
切りに行こうか、どういう風にしてもらおうかって考えてるうちに暇を逃しちゃって
ヘアメイクさんにお願いしてもよかったんだけど、結局そのままになってた。
いつもはもっと短い間に適当に切っていたから、
敦賀さんは、ここまで伸ばしたところは最近では見たことない…んだっけ…。
子供っぽいとか、思ったりしないかな…?

「な、なんか切るタイミングが見当たらなくて…ヘンですか?」
「そんなことないよ」

その言葉に安心して敦賀さんのほうを見上げると、私の気付かない間に
すぐそこまで近づいていたその唇が私の唇にキスをした。
2人きりとはいえ、他人様のお家でまさかこんなことをされると思ってない私は
軽くパニックになりながら敦賀さんに離れてもらおうとするのだけど
力で彼に敵うはずもなく、あっさりとキスの熱に引きずり込まれてしまう。

「っ…だ、ダメですよ…ここ、社長さんのお家なんですから…」
「これくらい、どこでだってしてるよ?」

あらためて言われると確かにそう…なんだけど…って!違う違う!
そういう問題じゃなくて。

「とにかく、今はダメですっ」

そう告げた時、初めて、花火が上がってる音が私の耳に届いた。
ほら、みなさんをお待たせしてるから早く行きましょうとばかりに
敦賀さんの腕をすり抜けてから、その手を引っぱってゲストルームを出る。
観念してくれたのかはわからないけど、手を繋いだまま、行き先に向かって一緒に歩いてくれてる。
だけど、なんとなく…くすくすと笑われてる気がするのは…私の気のせいじゃないわよね?

「今じゃなかったらいいの?」
「だ、ダメですよっ、今日はダメなんだもん」
「じゃあ…帰ってから、とか」
「ダメダメダメっ、明日もお仕事だもんっ」
「キスだけでもダメなの?」
「それは…やっぱりここじゃダメですっ」
「何がダメなの?」

2人でそんな風に応酬を繰り返していたら、いきなり割って入る声が聞こえて
思わず固まる私と敦賀さん。
それに今の会話…2人きりだからってつい油断しちゃった。
視線を声の方にやると、黒地に赤い花がよく映える浴衣姿のマリアちゃん。
私たちはいつの間にか、ベランダに続くお部屋のすぐ手前まで来ていたみたい。
やっ…ど、どうしよう、今の…今の聞かれちゃった?

「マ、マリアちゃん、あ、あのね今のはなんでも」
「きゃああお姉様素敵ーーーっ!、すごく似合ってるわ!!ほら、もう始まってるから早く早く」
「あ、ありがとう…マリアちゃんもすごく可愛いわよ?」
「私のことなんてどうでもいいのよ!ね、蓮様」

さっきの私たちの会話の内容には触れずに、私の浴衣のことをいっぱい褒めてくれてる。
良かった…聞かれてないみたい。
そんなマリアちゃんにぐいぐいと手を引っぱられてベランダへと駆け込んで、
視線を上げると、社長さんがにこやかに手を上げているのが見えた。
そうか…今日はみんなで浴衣なのね。
そして会話が弾んでるマリアちゃんと敦賀さんを横目に、
とりあえず社長さんに挨拶をしていると、休憩が終わったらしく再度花火が打ち上げられ始める。
促されるままに、用意されていた椅子に2人で座って、空を見上げた。

「わあ…っ…綺麗…!」

今までに見たこともないような大きさの花火や、連続して打ちあがる鮮やかな閃光に包まれて
思うままに声をあげて空に夢中になっていると、手に何かが触れた。
敦賀さんの手だ。
花火で明るく照らされてはいるけれど、それでも夜だから周りは暗くて、
これくらいなら、みんなにも気付かれないかもしれない。
そう思った私は、伸びてきた敦賀さんの手に自分のそれを重ねた。
さっきはあんなコト言ったのは、今日の敦賀さんに本気のキスなんかされちゃったら、
自分が冷静でいられる自信がないから…なの…。

そして繋がれた手に、指を絡ませて、すぐ隣の敦賀さんをそっと見上げた。
しばらく花火を眺めていたその横顔が私の目線に気付くと、
ぴったりくっついてる手を口元まで運び、私の指先にキスをした。

っ…ばっ…こんなとこで…っ

口をパクパクさせてる私の、その口元に指を立てて、楽しそうに笑った。

わ、私よりも花火、花火、ほら、今も大きな音と一緒に夜空には大輪の花。
せっかく招んでもらったのに、見なきゃダメでしょう?
なのに、私のほうこそ、敦賀さんから目を離せない。
ドキドキして、ちゃんと見られないって思ってたのに、夜空の下に出たら
暗い中に浮かぶ敦賀さんの瞳から、目が逸らせない…。

「2人きりになったら…」

え?

「さっきの続き、してもいい?」

言葉の内容に驚いている私に向かって、イタズラっぽく微笑む敦賀さん。
もう…この人にはほんと、敵わない…。

観念した私も、敦賀さんにだけ聞こえるようにそっと囁いた。

「キスだけ…ですからね?」

そうよ。こんなにあなたにドキドキしてしまってるのに、
キス以上のことなんて、できそうもない。
浮かび上がる花火を眺めながら、それでも私は敦賀さんの肩にもたれかかった。
夜空と花火と、あなたの浴衣姿。夏の魔法に酔ってしまったみたい。

今年の夏の想い出も、とっても素敵なものになりそう。
もうすぐ夏も終わり。
そして次の季節も敦賀さんと、素敵な想い出を作りたいな。

夜空を彩る鮮やかな炎の中で、大好きな人の隣にいられる幸せと、
時を一緒に過ごせる幸せを思って目を閉じた。

耳に届く音、大きいのに…心地良い…。



2006/08/26 OUT
Home