シートに身体を収め、ため息をついた。
自分に纏わりつく先程までの喧騒の名残が途端に漂い出す。
どうしても顔を出さなければならないということだったある集まりを
キリのいい所でこっそりと抜け出してきた。
車のドアを開けて、運転席に座る。
ドアを閉めてキーを差し込み、エンジンを始動させる。
そんな一連の動作をこなしているうちに、
押さえ込んでいた「自分」が次第に息を吹き返していく。
さあ、帰ろう。
「彼女が待つ」、自分の部屋へ。
*
ドアを開けると、天井にぼんやりと光るダウンライトが俺を出迎えてくれた。
時計の針は既に日付を越えた深夜をさしていて、
部屋の中も灯りだけはついているけど静まり返っている。
…眠ってる、か。仕方ないな。
出来れば少しだけでも一緒に過ごしたかったけど。
それでも、玄関に揃えてある彼女の靴を見るだけで
ピンと張っていた心の糸がふわりと緩んでいく。
いつの頃からか身についた、必要以上に他人を寄せ付けない為の術も、
慣れた空間に戻ってくれば自然と解けるようになった。
人前でほとんど解けることがなかったそれも、次第に変化してきつつある。
廊下を抜けてリビングへ出ると、テーブルの上に置いてある手紙に気付いた。
隣には伏せてあるマグカップと、それから皿。サンドイッチが乗っている。
「 敦賀さんへ
おかえりなさい。遅くなるとのことだったので先に休ませてもらいます。
ごめんね。おなか空いてたら、サンドイッチ食べてください。
キョーコ 」
ソファに座ってから、手に取った手紙を読み、その手紙にそっとキスをした。
ただいま、キョーコ。
俺の方こそ、せっかく君が来てくれてたのに早く帰れなくてごめん。
ふう、と大きく息をついた。
帰ってきたという実感がじわりと沸いてくる。
キッチンへ向かい、コーヒーを入れて戻り、
彼女が作ってくれたサンドイッチをほおばる。
それを飲み込んでからコーヒーに口をつけると、全身からすうっと力が抜けた。
やっと今日が終わりそうだ。
今日も…長かった。
*
ベッドルームで眠っているだろう彼女の顔を早く見たかったけれど、
タバコや香水の匂いが染み付いたままでは、まずいだろう。
もっとも、そんな状態で彼女のそばにいくことが、まず躊躇われる。
愛想笑いとか、口先だけの言葉とか、そんなものまで連れて行ってしまうようで、
俺の方がなんとなく拒否感すら覚えてしまう。
そうじゃない、何にも縛られることのないただの自分に戻って、彼女に逢いたい。
疲れたこともあり、簡単にシャワーを浴びることにしてバスルームに入った。
服を脱ぎ捨ててシャワーのノズルをひねり、降り注ぐ湯の束の中に身を委ねる。
今日は何度嘘をついただろうか。
あんな空間の中では人は必要以上に饒舌になったりするらしい。
仕事の話や世間話程度に留めておけばいいのに
恋人だのなんだのと、本当によくもまあそちら方面にまで展開していくものだ。
正直言って少しだけうっとおしいと思ったのも、事実。
いや…違うな。
そうやって嘘をつくしかない今の立場で考えるから
そんな風に疎ましく思うんであって、俺と彼女の関係が公になっていれば
また変わってくるのかもしれない。なんて現金なのだろう。
…人なんて、そんなものだ。きっと。
あと、何回同じ嘘をつけばいいんだろう。
考えても仕方のないことを、時々は考えてしまう。
自分がいる世界のすべてを否定するわけではないけれど
どうしてもこんな日は、少しだけそんな風に思いたくなる。
彼女がいてくれるだけで十分に幸せなはず、なのに。
開放していたノズルを元に戻して、髪をかきあげると、かなりすっきりした気分になった。
引きずっていた気持ちを洗い流した後に残ったのは、とてもピュアな想い。
自分が、本当は恋人への想いだけで出来てるんじゃないだろうかと錯覚するくらいだ。
何にせよ、これできちんと彼女に逢いに行ける。
きっともう夢の中にいる彼女におやすみを言って、
それからその夢の中へお邪魔させてもらおう。
廊下の灯りを一段落としてから、ベッドルームの中へ忍び込む。
僅かながら残されている、彼女と過ごせる時間に心から感謝して、ドアを閉めた。
「ただいま、キョーコ…」
2007/04/01 OUT