「お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ?」
久しぶりに彼女に逢える夜。
一晩ゆっくり独り占めできると思うと、いてもたってもいられない。
ここ2週間くらいは電話とメール、バッタリ逢えても事務所くらいでキスをする暇もなかった。
もうすぐ来るんだとわかっているのに、そわそわして落ち着かず
ソファに座ってから、すぐにキッチンへ行ってお茶の用意をしてみたり、
バスルームへ向かってはバスタブにお湯が満たされているのを見に行ったり
あまりの落ち着きのなさに、我ながら苦笑してしまう。
とりあえずテレビでもつけてみようか。
電話が来てからそろそろ15分くらいになるし、もう5分も待てばチャイムがなるだろう。
そう思ってソファに腰を下ろした瞬間、待ちわびていたチャイムが鳴り響く。
そそくさと出て行ったら、久しぶりに逢えた恋人がにっこり笑いながらそう言った。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ?」
そして、よく見たらなんだか少しおかしな格好をしている。
「キョーコ…?」
「なーんだ、敦賀さん知らないんですか?ハロウィンですよ!ハロウィン。
ほら、かぼちゃのランタンも持ってきました!パンプキンパイも買ってきちゃった!」
右手にはかぼちゃをくりぬいて作ったらしい灯り、左手には紙袋と竹箒。
黒くて尖った帽子に黒いマントのせいで気付かなかったけど、
魔女の仮装なら本当は着ているもの自体が黒くて長いワンピースのようなもののはずなのに
なぜか今目の前に立っている魔女らしき格好をした俺の恋人は、
ミニスカートの黒いドレスと、ふりふりの白いミニ丈のエプロンを纏っている。
「どうしたのその格好…」
「だから、ハロウィンって仮装してお菓子をもらいに歩くんですよ。
せっかく今日敦賀さんに逢いにくるんだから、仮装しちゃいました」
いや…それはわかる。ハロウィンがどんなものかもわかるけど…。
仮装自体はいい。
というか、それよりも、君が一番ゴシップを気取られることを警戒しているのに
そんな目立つ格好でここまで来たのか?
いや…別に俺は週刊誌に書かれたって構わないしむしろ大歓迎だけど…
違う。
問題はそういうことじゃなくて、その格好があまりにも露出度が激しいということで…
「まさかその格好のまま来たとか…そんな短いスカート」
「ち、違いますよっ…チャイムを鳴らす前に着替えたんです!
ここ、敦賀さんのお部屋しかないから誰も来ないし」
俺のセリフにかぶせるように発せられたその言葉にホッとしながら彼女を部屋に迎え入れた。
もう…普段から何をしでかすかわからないとは思ってたけど、
まさかハロウィンの仮装をして現れるとは思わなかった。
そう思いながら、改めて彼女を見つめる。
多少コスプレじみてはいるけれど、それがよく似合ってるように思えてくるから不思議だ。
彼女も楽しんでやってるんだろう。
こんなことだったら、きちんとハロウィン用のお菓子でも用意しておけば良かった。
ごめんね。君がこういうのをとても好きなことくらい、昔からわかってたのに。
来年からは、用意しておくから。
そうして驚きがすんなり馴染んだころ、ようやく俺達は玄関でのいつもの儀式を始めた。
「いらっしゃい、キョーコ。久しぶりだね」
「ふふ、ほんと、久しぶりですね」
その邪魔をする帽子を取って、それから彼女にそっとキスをする。
頬からまぶた、耳へと唇を滑らせて、最後に、彼女を確認するように髪に顔を埋めた。
「やっぱり…魔女にしてはずいぶん短くない?スカート」
「あ!あぁ…これはですね…あの…」
荷物を下ろしたのを見計らってからぎゅっと抱き寄せて、
ミニドレスの下に息づく身体のラインに手を這わせながら問う。
しどろもどろの反応を見せる彼女を見て、ある確信めいた思いが浮かんだ。
言い方は悪いけど、誰かに…入れ知恵されたんだな、きっと。
そして、それは多分…
「じ、事務所でマリアちゃんに捕まってですね、つい、ここに来ることをしゃべったら、
今日はハロウィンなんだから普通の格好じゃダメよお姉様!って…」
「やっぱり」
「しゃ、社長さんもそれを見てらして…メイド風はどうかとか…あの…」
その光景を思い浮かべて、思わず吹き出してしまった。
ファッションショーの如くにあれこれ服をとっかえひっかえされる彼女と、
それを楽しそうに眺めている2人の姿が簡単に想像できてしまう。
「やっぱりヘンですよね?魔女なのに、エプロンしてるし、スカート短いし…
もう…完璧なんて嘘ばっかりです…社長さんもマリアちゃんも」
くく、と笑いを堪えてる俺の腕の中で、しょんぼりしたように彼女が呟いた。
おっと、しまった。
違う違う、そういう意味で笑ったんじゃないんだ。ごめん。
「よく似合ってるよ?」
「ほんとですか?」
身体を離して、きちんと彼女の顔を見ながらそう告げると、
とたんに表情がぱあっと明るくなり、目がキラキラと輝き始めた。
しかも彼女よりずいぶん背が高い俺の方を見上げているから上目遣い。
…本当に俺は彼女のこういう顔に弱い。
だけど、ちゃんと似合ってるし、もちろんさっきのはお世辞なんかじゃないよ?
そして、悔しいけど俺は、社長とマリアちゃんの策略にもはまったらしい。
黒いミニドレス、ふりふりのエプロンで微笑む彼女に、
いつもよりも早く、悩殺されてしまったみたいだ。
「ごめんね、せっかくそんな可愛い魔女が来てくれたのに、お菓子用意してないんだ」
「大丈夫です!私、自分で用意して来ましたから」
廊下を歩きながら、彼女が嬉しそうにパンプキンパイの入った紙袋を開く。
俺を見上げて、それはそれは嬉しそうに微笑む。
「ここのパイ、どれもすごーく美味しいんだって。楽しみ!私、お茶入れてきますね」
リビングからキッチンに抜けていく彼女を見送って、ソファに身を沈めた。
本当に…俺の恋人は可愛い。可愛くて仕方ない。
社長やマリアちゃんが構いたがるのもよくわかる。
よくわかるし、それも愛情表現の一種なんだと思うけど
あんまり妙なことを教えたりしないで欲しいな…。
何しろ鈍感な上に天然ときてるんだから、
聞いたことを真に受けていつかとんでもないことをしでかすんじゃないかと
結構ハラハラしてるんですからね、頼みますよ、本当に…。
「どうかしました?」
お茶と切り分けたパイをトレイに乗せて、彼女がニコニコしながらリビングに戻ってきた。
なんでもない、という風に笑って見せると、安心したようにお茶の用意を始める。
まいったな、コスプレフェチではないつもりだけど
いつもと同じことをしているはずの彼女の姿がやけにかいがいしく見える。
これも、あの2人が仕掛けた魔法なのか?
これが俺へのプレゼントだとでも?
「敦賀さん、食べられます?無理しなくていいですからね」
少し考え込んでいた俺を引き戻すような声がしたかと思ったら、
切り分けたパンプキンパイを彼女が嬉しそうに頬張り始めた。
かぼちゃのランタンから零れるろうそくの灯りが、その傍でゆらゆらと揺れている。
ああ、いや、食べられるよ。大丈夫。
せっかく君が持ってきてくれたんだし、それにすごく美味しそうだ。
普段あまり食べ物に頓着しない自分も、こうして彼女と一緒なら
それなりに食べてみようという気が起きるから不思議だ。
彼女の手料理はもちろんだけど、それ以前に、
同じ場所で一緒に何かをすることで同じ時間を過ごしているんだと改めて思えるからなんだろうか。
それに、食べること以外にも、普段の生活の中でうきうきとした気持ちになることがずいぶん増えた。
やっぱりそういうのも全部、彼女のおかげなんだろうな…。
今日のだって、結局そういうことだ。
俺の中での普通の10月31日が、あっという間にちょっとしたイベントになってしまった。
楽しいことはみんな、彼女との生活の中で教わった。わりと本気でそう、思ってる。
日々の生活は、決して同じことの繰り返しではないんだと、彼女が教えてくれたんだ。
そういう意味での彼女はやっぱり、魔法使いなんじゃないんだろうか。
「Trick or Treatか…」
さっきの玄関前での彼女の様子を思い出したら、少し笑えてしまった。
本当に、ヘンなところでまでいちいち可愛いんだから…。
お菓子を用意してなかったわけだから、俺は彼女に悪戯されても文句は言えないわけだ。
それじゃあ今日は大人しく、とびきり可愛い魔女に悪戯されることにしよう。
そういうプレゼントならば、俺だってありがたく受け取らないと、ね。
「敦賀さん?」
きょとんとした表情の彼女に問いかける。
…ねえ、キョーコ。
君はどんな風に悪戯してくれる?
いつもみたいに、可愛く?
それとも…黒い服を着たままで、ちょっと倒錯的に、かな。
「ここ、クリームついてる」
「えっどこどこどこですかっ?」
口の端を自分のそれですっと掠めた。
真っ赤になりながら俺の方を驚いた顔で見つめている恋人に心の中でそっと呟く。
Happy Halloween、キョーコ。
ベッドが楽しみだね…
2006/10/29 OUT