事務所の中を1人で歩いていた。
社さんは、次の移動までの間、用事があるからと俳優部門のほうへ行ってしまった。
ついていってもよかったけど、手持ち無沙汰になるのもつまらないので
支障の出ない程度に事務所内を歩いてみることにした。
もしかしたら…彼女に逢えるかも、しれないし。
…自分の考えていることが、おかしくて笑ってしまう。
俺はあの子のことが間違いなく「好き」で。
彼女が、幼い日の数日間の想い出を共有している「キョーコちゃん」であることも知っていて。
こうして出逢ったのも…何か意味があるのなら。
…彼女が「キョーコちゃん」だからという理由だけで、今、好きになったわけじゃない。
けれど。
あの頃からちっとも変わっていない彼女を通して、昔の自分を見ていたのかも、しれない。
打ち明けるつもりはないと思っていたけど、無意識に育っていく気持ちは、さすがに苦しくもある。
遠くから姿を見かけただけでも、身体が鼓動を強く打ってしまうほどに。
しばらく顔を見ていないから、逢いたい。でも、逢ったら、別れた後が辛い、なんて。
もう社さんにも下手なことは言えないな。
あの人のことだ、余計に煽ってくれるに違いない。
*
やっぱり、テレビ局とは違い、事務所は静かでいい。
階下のロビーに限って言えば、いろんな人がいるからそうもいかないけれど
さすがにこのあたりは関係者以外はめったに入ってこないし、いたとしても、俺を見て騒いだりはしないだろうから。
そう思いながら、とくにあてもなくうろついていたつもりだったけど、
廊下を歩きながら、ふと自分がどこへ向かおうとしているのか気づく。
…このまままっすぐ歩いて突き当たりを右に行くと、ラブミー部の部室じゃないか。
思わず壁にもたれかかってしまった。顔を覆う。
上を見上げながら、ため息をひとつつく。
はあ…。
無意識とはいえ、やってることが子供みたいだ。
まいったな。そこらのストーカーと変わらない。
そう思いながら、とりあえず、足を進めてみる。
もし、通り過ぎる前に覚悟が決まれば、ノックしてみよう。
それくらいは…許される位置にいると、うぬぼれてもいいかな。
その時、つま先に何かが当たったような気がした。
足元を見てみると、暗い色の硬いものが落ちている。
あれ…?
以前にもこういうことが、あったような。
見覚えのあるそれを、半ば確信を持って拾い上げてみる。
やっぱり…。
昔、「キョーコちゃん」…彼女にあげた…彼女が「コーン」と名づけて大切にしているらしい石。
やっぱりこんなことがあって、それで、彼女が「キョーコちゃん」だとわかったんだけど。
やれやれ。
またあの時みたいに血相変えて探してるんじゃないのかな。
あの時もそうだったけど、ああいう風に大切にしてもらっていることを見せられると、
…胸の辺りがくすぐったくなる。
わかってるのかな…わからないだろうね。
彼女は…何も知らないから。
手のひらで、静かに碧く光る石を見つめた。
泣き虫な彼女に、少しでも涙が減るように。そう思って渡したっけ。
少しは、彼女の力になれてるのかな。
石を握り締める。硬くて冷たい感触。
彼女がどういう風にこの石を…扱うのかはわからないけど
メルヘンなあの子のことだから、話しかけたりしてるんじゃないのかな。
想像すると、少し可笑しい。
そういうところも、多分変わってない。
変わってなさすぎて…安心する。
思い立って、手の中の「コーン」をポケットにしまった。
少しだけ…借りていこう。
探しているだろう彼女には、ごめんね。
すぐに返すから。
ポケットにしまった手を元に戻すと、後ろからけたたましいほどの足音が聞こえてきた。
やっぱり…来た。
「どうしよう~、ない、どこにもないよ~」
ああ、やっぱり「これ」を探して走り回ってたんだ。
心が少し痛んだけど、イジワルじゃないから。
そう、自分に言い聞かせる。
君の悲しそうな顔を目の前にして、耐えられるだろうか。
「最上さん?」
そ知らぬ顔で声をかけた。
下を向いていたピンクつなぎが、顔をこちらに向ける。
…すごい表情。
「つ、敦賀さん?どうしてここに…」
「次の移動まで暇だったから、事務所内の散策をね」
「散策って…、あ、そうだ、敦賀さん、碧くてちょっとごつごつしたこれくらいの石、見ませんでしたか?前にも…拾っていただいたことがあるんですけど」
話題がすぐに「コーン」のことに切り替わる。
あの時よりはずいぶん落ち着いてるみたいだけどそれでも焦って探してることには違いないだろうから。
頑張れよ、「敦賀蓮」。ここ最近では一番難しい「芝居」かもしれない。
「君が「コーン」って呼んでた、あれ?」
いきなり確信めいた答えを得られたからなのか顔がぱあっと明るくなる。
まったく…すぐ顔に出るんだから…。
そういうところもすごく可愛いんだけど。
「そうですっ、この辺で落としたと思うんですっ、あれなくしちゃったら困るんです、どうしよう…また落としちゃうなんてほんとバカみたい…」
「さっきからこのあたりを歩いてたけど、ごめん、見当たらなかったよ」
俺の言葉を聞いて、一瞬表情が曇ったかと思うと、がっくりと肩を落とす。
「いいんです…私が悪いんだから、敦賀さんが謝ることなんて…」
「注意して見ておくから。椹さんも…知ってたよね?もし俺が見つけたら君の手に渡るようにするから…。社さんにも聞いてみるし、俺にできることはするよ」
「すっすみませんっ…ありがとうございますっ」
彼女がそう言って頭を下げた時、電子音が小さく鳴り響いた。
つなぎのポケットからわたわたと携帯を取り出して着信を受ける。
「はっはい、最上ですっ、…はい、はい、わかりました、すぐ行きますっ」
短い会話を終わらせて電話を切ると、再びこちらを向く彼女。
少し泣きそうな顔。
タイムリミット、か。
「じゃあ、私はこれで失礼します、呼び止めちゃってごめんなさいっ」
「うん、またね」
頭を下げて、ぱたぱたと走り去っていく後姿を見送った。
なんとかミッション成功、といったところか。
犠牲に対しては心が少し痛む。君の心の平穏をひと晩、貸してもらうことになるね。
「ごめんね…1日だけ、貸して?」
懺悔をするかのように、その後姿に呟いてみた。
…逢えて嬉しかったよ。またね、最上さん。
素直にそう思える自分も…なかなか良いじゃないか。
*
仕事が済んで、帰宅したのは深夜。
ポケットには…「コーン」。
何年ぶりに、なるのかな。こうして自分の手元に戻ってくるのは。
部屋にたどり着いて、一番に窓を開け放した。
今日は月が綺麗な夜だ。
柔らかく降り注ぐ光を浴びせるようにして、窓際に置き、その隣に座った。
こうやって月の光を浴びせると、石を浄化したり、力を増幅させることができるらしい。
正式な作法はわからないけれど、元の持ち主だった自分が、今の持ち主の為にやることだから…
少し違っても多分大丈夫だろう。
そんな自信があった。…不思議だけど。
俺の目が届かない時は…彼女の力になってやってくれよ?
端から見ればおかしいかもしれないけれど、なんとなく話しかけたりして。
あの子も多分そうしてるはずだから。
気持ちが育って、どうしようもなくなる寸前まで来ていながら
打ち明けることのできない自分に代わって彼女のことを守れるように、想いを込めて。
そうだ、今日はこいつに…相手になってもらおう。
ウィスキーのボトルを取りに立つ。
時にはこういうのも、ありだよな。
*
飲み進めていくうちに、いろんなことを思い出す。
初めて逢った頃のこと。
外見と俺の話とで、俺のことを妖精だと信じて疑わなかったっけ。
あの頃は、ほんとに、よく笑ってよく泣いて…ああ、そうだ。俺の話で泣いたりもしてた。
本当に自分よりも他人のことに一生懸命で、一途で…。
だけどまさか、石に名前をつけてるとは、思わなかったな。
しかも、俺を呼んでいたのと同じもの。
なんで、また…あの子に逢うことができたんだろう。
逢いたいと思っていたわけじゃないはずなのに。二度目に逢ったときは思い出しもしなかったのに。
見た目は変わってても、いろいろな経験が彼女を育ててきたとしても、本質的なことは何一つ変わっていない。
そのことは、一緒に過ごしているうちに痛いくらいによくわかった。
だとしたら多分、他人には窺い知れない悲しみを今もひっそりと抱えているはずだから、
君の、その悲しみを少しでもやわらげることができるように、あの時と同じく、石に願いを込める。
表面では泣かなくなった君の、心の中の涙が少しでも減るように。
これから先、悲しい思いをすることのないように。
ベッドルームに戻り、窓を開ける。
差し込む月の光がぼんやりと部屋を照らしていく。
今日はこうやって眠ろう…「コーン」と。
そうすれば、あの頃に…何のしがらみもない、ただの子供同士で過ごせたあの頃に、戻れるかもしれない。
夜の間だけでも。
夢の中、だけでも。
*
「これ、最上さんに渡しておいてもらえませんか?」
翌日、仕事の前に事務所に寄った俺は、自分の所属ではないタレント部門に来ていた。
もちろん、「コーン」を今の持ち主に返すため。
多分、彼女も気が気ではなかったと思うけれど、俺はと言えば思い出を再び共有できた気がして嬉しかった。
だからなおさら、ごめん。
今度…何かで埋め合わせをできたらいいな。
「ああ、これな…何、また落としたのか?最上さんは」
「血相変えて探してましたから、早く返してあげてください」
「そうか…そういえば、あの時もお前が拾ってやったんだっけ」
「ええ、そうですね…」
渡す瞬間、もう一度想いを込める。
直接は渡せないけれど、君のことを一番に、想っているよ。
最上さん…キョーコちゃん。
「よっぽど大事なんだろうなあ、泣くほど」
椹さんはそう言ってくすくすと笑い、こともなげに、「コーン」を彼の机の上に置いた。
じゃあ、またね。
心の中で、持ち主へ帰るのをひっそりと待つ「コーン」に話しかける。
君も、俺のニックネームを持つんだから、しっかりしてくれないと、困るよ?
2人だけの…秘密の名前。
だから、俺がそばについててあげられないぶん、ずっと彼女のそばに、いるんだよ。
「コーン!見て見て!」
あの日の彼女の…キョーコちゃんの笑顔がフィードバックする。
また、あの日のように、2人で笑い合える日が、くるだろうか…。
2006/01/02 OUT