車の時計を一瞥してから、小さくため息をつく。
なんだかんだ言っても、相変わらず忙しい。
ドラマの合間にバラエティ、テレビの仕事だけではなく
それにに関しての雑誌の取材やなんかも多い。
仕事が減ることを望んでいるわけではないけど、
結婚してさらに欲が出てきたのか、
せめて1日に数時間でいいから彼女と2人きりで過ごせたら、なんて思ってしまう自分がいる。
いくら電話やメールで頻繁に連絡を取っているとはいえ、
朝と夜だけ、下手したら夜は顔を合わせられない状況は寂しすぎる。
…だけど、よく考えてみれば仕事を持つ世の中の人も
パートナーとそんなにたくさんの時間を共に過ごせてるわけは、ないよな…。
忙しくて、俺よりもさらに悪い状況の人だっているだろうし、
仕事の都合で別々に暮らしてる人だって、いるだろう。
キョーコに逢いたすぎて、考え方が少し極端に走ってるのかもしれない。
それが俺の正直な気持ちなんだから、仕方ないといえばそうだけど。
我がままだってことも、わかってるんだけど。
今日も…多分眠ってるんだろう。
仕方ない、こんな時間なんだし、彼女だって仕事があるし、と
半ば自分の心に言い聞かせるようにして車を降りた。
少しだけでも、顔が見たかったな。起きてて、笑ってる顔。
おかえりなさい、と、抱きしめて欲しかったな。彼女に。
しばらくちゃんと顔を合わせてない気がするから、余計にそう思うのだろうか。
2人とも東京にいれば、朝は大抵逢うことができる。
いや、それでも逢えない時も、ある、かな。
夜ほどではないけれど、たまに本当に逢えない時もあるから。
今朝もとりあえず2人で食事はしたけれど、彼女の方が出かけるのが早くて
そんなに一緒にはいられなかったし。
ついでに今朝の彼女のことを思い出して少し幸せになったけれど、
多分今の俺にはそれじゃ足りてないくらい、乾いてる。
ああ、本当に逢いたかったな…ろくに話もできてない有様だし。
だけどそう言っておいて、もしこんな時間まで本当に彼女が起きてたりしたら
それはそれでとても心配になるくせに、ずいぶん勝手な言い分だ。
彼女を好きになってから、こうして時々
自分でもどうにもならない矛盾が顔を覗かせるようになった。
彼女のことを思いやるのと同時に、自分のささやかな願望も満たしたい。
そんな風に悩むこと自体が幸せなのだとすぐに悟ったけれど。
彼女にすべてを許されていなければ、
そんな悩みを持つまでにすら、至らなかったわけだから。
それに、今は帰る部屋までもが同じ。
眠っている彼女がいるのは…2人のベッドの上。
そこまで考えて、やっぱり自分がとてつもなく幸せなんだと再確認する。
1人だった頃に比べたら、天と地ほども違う。
いつも彼女の隣で眠ることができる権利を与えてもらえるくらいに、なれた。
そう。俺は十分に幸せだ。
帰ったらまず、顔を見て…眠ってるだろうからそっと「ただいま」の挨拶をして、
眠る準備をしてからもう一度、彼女を起こさないように抱きしめて、
その熱に浮かされるまま、眠りにつけたらいい。
顔を見たり、話をする回数が少なければ、
次にそんなチャンスがやってくることの喜びはとても大きいんだ。
そんな時間が幸せで仕方なくて、だから毎日離れていても少しは平気でいられる。
どんなことだって…彼女との幸せに繋がっているんだから。
「おかえりなさい」
彼女が起きているであろう時間なら、チャイムを鳴らすのだけど、
今日は深夜帰宅ということでそっと鍵を開けて部屋に入る。
静かに灯る明かりの下で、揃えられている彼女の靴に安堵して
それから荷物を下ろして靴を脱いでいると、近づいてくる足音に気付いた。
そしてスローモーションのように顔を上げると、
そこには…彼女が立っていた。
「キョーコ、どうしてこんな時間に…まさか待ってた?」
「ん。待ってました。ごめんなさい、ビックリした?」
「いや、謝らなくてもいいんだけど…眠くない?寝ててくれてよかったんだよ?」
「大丈夫。明日は私お休みだし…」
パジャマを着てはいるけど、眠ってた気配は感じられなくて、
出迎えてくれた彼女はいつものように俺を見て微笑んでくれる。
もしかして…本当に待っててくれたのか…。
口をついて出る言葉とは裏腹に、嬉しくて仕方がない。
何日かぶりにもらえそうな「おかえりなさいのキス」が待ち遠しくて
パジャマ姿の彼女に手を伸ばした。
それに応えてくれるかのように、彼女も俺の胸の中に飛び込んできた。
彼女の身体の温度を確かめて、それからゆっくりとキスを交わす。
しばらくの間、自分が持つすべての感覚を、
彼女から伝わるものを感じることだけに集中させた。
「なんだか、久しぶりですよね、こうやってキスするの」
「忙しくてごめん。本当はもっと早く…」
「いいの。たくさんお仕事できるのは、幸せなことなんですよ?」
「そうだね」
「そうなんです」
彼女が悪戯っぽく笑う。ああ、本当にそうだね。
2人で一緒に仕事も生活もがんばっていくと決めた日のことを思い出して、
もう一度彼女をゆっくりと抱きしめた。
忙しくて、すれ違いが多い。
それが2人の日常だとわかっていて、それでも寂しくて仕方がない日も、ある。
そして、そんな風に寂しいと思うことは、決して悪いことではないのだと、君が教えてくれた。
「あのね敦賀さん」
「ん?」
「眠いですか?」
「うー…ん、まあ、少し眠いかな…キョーコは眠くない?大丈夫?」
「最近あんまり…ちゃんとお話してないなって思って、それで起きてたの」
今日はちゃんと敦賀さんに逢いたくて、と呟く彼女を前に、
さすがにすぐには言葉が出てこない。
彼女が自分とまったく同じ風に思ってくれていたという事実が身体を駆け巡って、
やがてじんわりと浸透していく。
彼女が1人で先に眠るのだって、俺が夜遅くに1人で帰ってくるのと同じくらい、寂しいはず。
そんなこと、わかってたはずなのにな。
下を向く彼女の頬に手をやる。こちらを見上げた顔が少しだけ赤い、気がした。
「ダメだったかな…」
「ダメだなんて…嬉しいよ…ありがとう」
嬉しい、としか言えない。
嬉しいという言葉の中に、言葉では伝えきれないくらいの想いを詰め込んでから
彼女に届くように、声を繋いだ。
そうだね、今夜は2人で話をしよう。少しだけでも、いい。一緒にいられなかった時間のことを教えて?
しゃべり疲れて君が先に眠ってしまったら、その寝顔におやすみ、と囁いてから
少し遅れて夢の中の君に逢いに行くよ。必ず。
そしたら、今度は夢の中でおしゃべりができるだろう?
「コーヒー入れてきますね、カフェインレスの」
嬉しそうにキッチンへ向かう後姿にそっと呟いた。
ソファに腰掛けようとしてふとテレビを見ると、
以前に俺が出演したドラマのDVDが流れている。
少し面食らったけれど、すぐにあることを思い出す。
そういえば、このドラマを見るのが好きなのだと前にも言っていたっけ。
そうだ、どうして今夜これを見ようと思ったのかも、ついでに教えてもらおうかな…
ね、キョーコ。
2007/05/31 OUT