そういうことにしておいて -REN

From -MARRIED

数日前からなんとなく身体がだるい…ということを口にすると、
余計に重症になってしまいそうで黙っていたんだけど、さすがに彼女には気づかれてしまった。
何も言わなかったことについてくどくどと怒られて、
いま現在は彼女のいるキッチンから遠いベッドルームにひとり、寝かされているわけで。

確かに身体は熱い。気を抜くと、見上げている天井の輪郭がぼんやりとしてくるし、
感覚としていつもよりも深くベッドに沈み込んでいる気がする。
…こういうのはずいぶんと久しぶり、だよな。

彼女とこういう関係になってから、俺が体調をここまで崩すなんてことがあったっけ…。
ああ、1~2回くらいはあったのかもしれない。
そのどれも、怒られた、というよりも、ものすごく青い顔で心配されて、
やっぱり有無を言わさずベッドに寝かされて、
移るから、と言うのに強引に隣で眠ろうとする彼女の気持ちがとても嬉しかったな。

もちろん、彼女に移すことは避けたいし絶対に避けなければいけないけど…
今夜も一緒に眠ってくれようとしたり…するんだろうか。
そんな彼女の様子が目に浮かぶようで、思わず顔が緩んでしまう。

「つ、るがさん?」
「んー…うん」
「眠ってる?起きてます?」
「起きてるよ…半分くらい」

ベッドサイドに彼女の気配を感じて、そちらに顔を向ける。
案の定、心配そうな表情でこちらを見ていた。
手を伸ばして、彼女の頬に触れる。
自分の手が少し熱いせいなのか、いつもよりひんやりしているように思えて気持ちがいい。

「つめたくて…気持ちいい」
「あなたが熱いの。もう…平気なふりしてこじらせるなんて」
「うん…ごめん」
「…体力、落とさないようにしなきゃいけないから、少しだけでも食べてね。お薬も飲まないといけないし」

そう言って、彼女がいくつか物が載っているトレイを差し出す。
何だろう…?
おかゆか…スープ…?

「これくらいだったら…食べられるかなと思って」
「うん…食べようかな」

食欲、というものは俺の中にはあまり存在しないもの、ではあるけれど、
こんな時だからか、彼女が作ってくれたものに関しては別なんだと、改めて思う。
彼女が手にした食器からは湯気が立っていて、俺をもってしてもいかにもおいしそうに見えるし
彼女の気持ちが形になっているようで、愛おしさすら感じてしまう。

「美味しそう、だね」
「ほんと?ほんとにそう思う?」
「うん…食べたいな」

俺のそんな言葉に、大げさとも言える様子で喜ぶ彼女がなんとも可愛い。
普段は君の前でも食欲を忘れてしまったような態度に見えるんだろうか。
ごめん、そういうつもりではないし、俺は君の作るものはなんだって美味しいと思ってるよ。
こうして自分のことを真剣に心配してくれる人の存在について、
こんな風な機会でもないと、改めて思ったりはしないのかもしれない。
いや…少なくとも俺は、いつも感謝しているつもりなんだけど。
自分を誰より大切に想ってくれている存在、が…彼女であることに。

「…おいしい」

ひと口ずつゆっくりと口に運ぶ。
それと同じペースで、スープに潜んでいる彼女の込めた慈愛みたいなものが
身体にしみこんでいく気がして、
たまにはこうして体調を崩してみるのもいいかもしれない、なんて思ってみたりして。
…いや、そんなこと考えてると知れたら…どんな剣幕で怒られるかわかったもんじゃ、ないな。
彼女が本気で心配してくれているのがわかるから、今のは心の中にしまっておこう。
もちろん、健康でいることが一番大事なんだし。

「そういえば…これ」
「ふふ…覚えてる?」
「もちろん」

まだ俺と彼女の間に流れる空気が、こんなに柔らかくて甘いものではなかった頃、
やっぱり同じように彼女が、体調を崩してしまった俺のために作ってくれた、もの。
野菜スープなんて、例えばチャーハンや何かのお供によく作ってもらって食べているのに、
今、唐突にあの時のことを思い出した。

「あの頃の敦賀さんって…」
「…ん?」
「私のこと…嫌い、だったよね?」
「っ…げほ…っ…キョーコ何言って…」

だって本当のことじゃない、とくすくす笑いながら俺に笑顔を向ける。
俺はといえば彼女の思いがけないことばに、思わず咳き込んでしまった。

あの時、というのはつまり…俺の食事事情の心配のためだけに、
彼女が俺の代理マネージャーとして仕事をした数日間、のこと。
一緒に過ごした時間が長いぶん、いろいろな感情や言葉のやり取りをしたけれど、
今思えば、こうして一緒にいられるようになるための大事なプロセスだったんだろうことは言うまでもない。
彼女との関係の中では、どんな時のことも無駄なものはひとつもないと自負、できるけれど。

「キョーコが…俺のことを嫌ってただろう?」

あの時の感情が少し蘇ってきたので、そのままストレートにぶつけてみる。
嫌ってただの、嫌われてただのというのは、今となっては言葉遊びみたいなもの、なんだけど。

「だって…嫌われてるってわかってるのに…好意的にはなれないもん」

ああ、ごめん。言い過ぎたかな。
あえて拗ねたような顔が、とても可愛くて、スープを持っていなかったら、
もしくは風邪をひいていなかったらすぐに抱き寄せてキスのひとつやふたつ、したいところだけど…残念。

「嫌われてると思ってたのに、あんなにいろいろ力を尽くしてくれて…嬉しかったんだよ」

だから。
君の言葉や態度に対してひとりでむくれて、あんな大人げないことをしてみたり。
ん?
…なんだ…あの頃も今も、そんなに変わっていないんだな。

「多分ずっと…君のこと、好きだったんだよ…」

目の前の彼女に触れながら、そう言葉を繋げた。
昔の自分に心の中で問いかけてみる。
本当の意味で人を好きになったことがなかったから、なかなか気づけずにいたけれど、
きっと…その予兆というか、芽は、ずっとずっと前からあったんだと思う。

好きになる、のは、ただ好きだという感情だけじゃ済まない。
あれこれ考えすぎて疑心暗鬼になってみたり、醜い嫉妬心を露わにしてしまったり。
複雑な感情ゆえに、なかなか自分の中で納得できない。そんな…想い。
だから、君のことをずいぶん混乱させたと思う。

「そうかな…」

俺の言葉を受けて彼女がそう呟きながら、俺の額に自分のそれを、こつん、とぶつけた。
そんなに高くないかな、なんて囁く唇がゆっくり遠ざかり、
俺の頭を、華奢な手がさらりと撫でていく。

「そういうことに…しておきますね」

言葉だけを切り取ると、諦めとか、呆れとか、そんなニュアンスだけど、
彼女の表情にはそんなものはみじんも見えない。うん、君の手のひらの上で転がされてるのが一番良いんだ。
ちょっとだけ楽しい気分になっていたら、今度はその唇が、俺の額にそっと触れた。
同時に、少し眠らないとダメ、という声が聞こえてきたので、素直に従うことにする。
言うことを聞くから…だからさっきの話は…そのうち気持ちを整理してきちんと君に伝えるから…。
今のところは、そういうことにしておいて?


2013/9/4 OUT

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