毎日ただ何気なく繰り返すこのささいな動作が、
まったく別の意味を持った気がする。
確かに、少し違うことが加わったのも理由のひとつではあるけれど。
まず前もって携帯電話を確かめて、彼女が帰宅していれば
ドアの前でチャイムを鳴らしてから鍵を開ける。
そうでなければ、そのまま鍵を開けて中に入る。
とはいえ結婚する前も、彼女が部屋に来ている時はまったく同じ事をしていたし、
そのまま同じ部屋に住んでいるから大差ないと言えばまったくその通りだ。
だけど精神的にはずいぶん違う。
もちろん、お互いの立場もがらりと変わった。
彼女が先でも自分が先でも、このドアを開けて入る部屋はもう、
自分だけの場所じゃなくて、名実ともに2人の場所になった。
そういう気分で鍵を解いて部屋に入るのは、本当に楽しい。
今日はメールがなかったから、彼女はきっと遅いんだろう。
そのつもりでドアを開けたら、彼女の靴があった。
先に帰ってるのだろうかと思いながら、だけど何の連絡もなかったことを
不思議に思いながらリビングへ行っても誰もいない。
名前を呼びながら家の中を見て回ると、ベッドルームでやっと彼女を見つけた。
近づいてみると、朝見た時の服のまま、何もかけずにすやすやと眠っている。
「こんな格好で…風邪、引くよ…」
そう言って、近くにたたんでおいてあった大きめのブランケットをかける。
手には携帯電話があったから、多分俺に帰宅のメールをしようとしていたんだろう。
「ただいま…奥さん」
彼女の横に並んで寝そべり、片方の手にキスをしながらつぶやいてみた。
ここに来る前に洗濯機の音が聴こえたから、きっと帰ってきてすぐにスイッチを入れたに違いない。
朝は朝でバタバタしていたし、こんな風に思わずうたた寝をしてしまうくらい、疲れてるんだろう。
俺の方が忙しいことが多くて、2人で暮らしているのに家のことはどうしても、
彼女に負担がかかってしまいがちになる。
何をもって完璧かなんて人それぞれだし、そもそも俺は彼女に対して完璧さなんてカケラも求めていない。
でも彼女はそうではないらしく、こちらが心配になるくらいに“いい奥さん”であろうとしているのがよくわかる。
「君はとっくに、いい奥さん、なのにね」
俺に言わせれば存在自体がすでに“いい奥さん”で、
極端な話、こうして彼女がこの部屋に帰ってきてくれてこんな風に眠ってるだけでも十分なんだ。
いわゆる共働きなんだし、あんまり、というか絶対に無理はして欲しくないんだけど、
彼女は彼女で思うところがあるんだろうから強く言うわけにもいかないし。
むしろ、俺の方が彼女にふさわしい夫かどうかが心配だ。
何に幸せを感じるか、は、人それぞれだと思う。
俺は彼女がとなりにいてくれればもう何もいらないくらいだ。
でも一方では家事をする彼女を見るのも幸せで。
それはきっと、その行為の中に、
ここで一緒に毎日を過ごすということ、と、
その毎日の2人の生活をよりよいものにしようとすること、の、
両方が詰まっているからなんだと思う。
彼女なりに俺との暮らしを作っていこうとしてくれていることが、幸せで。
…無理はしないで欲しいというのと、矛盾しているだろうか。
俺も彼女も、ただ自分ができる範囲のことをすれば、きっとそれでいい。
ここでの生活は、ただ過ぎていくだけのものじゃなくて、
俺と彼女とで創っていくもの、なんだから。
しばらく彼女の寝顔を愛でた後、足音を立てないようにこっそりとベッドルームを出た。
止まったらしい洗濯機のフタを開け、中の洗濯物をカゴに移す。
以前はただの習慣だったものも、彼女との生活の中に組み込まれていれば、
とても大切なものに思えてくる。
…そうか。
彼女もきっとこんな気持ちなんだろう。
だからあんなに嬉しそうにやってるんだ。
「敦賀さんごめんなさい私やるからっ」
何とも言えない楽しい気分で最後の洗濯物を干し終えた時、彼女の慌てたような声が背後で響く。
振り向くと顔面蒼白に近い様子が見て取れたから、おいで、と手招きをした。
「寝ちゃってましたよね、ほんとごめんなさ」
「おはよう、ただいま。愛してるよ、キョーコ」
手招きに応えて近づいてきた彼女の謝罪の声をさえぎるように、ぎゅっと抱きしめてそう返してみた。
彼女がそのどれから先に返事をすればいいか迷った隙に、言葉を続ける。
「俺が起こしちゃったかな?ごめん」
「ううんっ、違うの」
「いいんだ、大丈夫。ありがとう」
俺が言ったことの意味を反芻しているのか、不思議な表情で彼女が俺を見た。
言葉にしてしまうと上手く伝えられないようなこの気持ちを、どうやって伝えようか。
いてくれてありがとう。
俺を選んでくれてありがとう。
いつもそばにいてくれてありがとう。
毎日思っていることでもこうしてあげていくと、本当にきりがない。
いつもいつでも、君のすべてにありがとうと伝えたい。
君のいる場所が、俺のいるべき場所なんだと、いつも思う。
そして、ここを“SWEET
HOME”にしてくれてありがとう。
俺と結婚して本当によかったと思ってもらえるようにこれからもがんばるから、
未来に期待してゆっくり待ってて欲しいな。
2010/06/27 OUT