この頃、帰宅時間のすれ違いが続いてしまっている。
一緒に暮らしているから、それでもまだなんとか我慢できるし
別にそれ以上のことを望むつもりはないんだけど
でも…やっぱり少し寂しいと思う自分がいたりも、する。
彼女のことになると、本当に俺は欲張りなんだよなぁ…。
昨夜は俺のほうが遅くて、彼女は先に眠ってしまっていた。
と言っても、俺を待っていようとしてくれていたみたいで、
彼女が眠っていたのはまた、リビングのソファの上。
夏に向かう季節だから、寒くはないんだろうけど、それでも体調を崩してもらっては困る。
心配で心配で、仕事も手につきそうにない。
辛そうに寝込むのを見るのも、いたたまれないよ。
そう思いながら、玄関の鍵を開けた。
今日は、俺の方が早い。
*
「ん…おかえり…なさ…」
深夜と言ってもいいくらいの、もう日付もとっくに変わってしまっている、
そんな時間に帰宅した俺の目にうつる、ソファに眠り込む姿。
風邪を引くから、と抱え上げると、寝ぼけた様子で俺にそう呟いた。
「うん、ただいま…ほら、ベッドに行こう?」
「あ…だ、大丈夫…っ」
「いいから、大人しくしてて」
「ん…ごめんなさ…」
「疲れてるんだろう?俺は大丈夫だから」
すでに入浴も済ませてパジャマ姿だった彼女をベッドに横たえると、
すぐにでもまた眠りについてしまいそうに、うとうとし始める。
「先に寝てて、いいから…」
そう言い残してベッドから降りようとすると、服の裾をつかまれているのに気付いた。
彼女を見やると、瞳を半分くらい開けて俺の方を見ている。
「どうした?」
彼女に引き寄せられて近づいていくと、俺の首に彼女の手がそっと回された。
そのまま彼女に覆いかぶさるようにベッドに体重をかけて身体を傾ける。
俺と彼女の唇がそっと触れる。それはそれは、計ったようにピッタリなタイミングと位置で。
今日、2度目。いや、日付が変わっているから最初のキスか…。
昨日は1度しか唇を重ねていないことに気付いて少しビックリもした。
そんなことは過去に何度もないくらい、毎日幾度もキスを交わすのが習慣なはずなのに、
ずいぶんと忙しいんだな、俺も君も。
「おかえりなさい…ごめんね、起きてられなくて…」
「…謝らないで、こんな時間まで起きてなくていいんだよ…」
おやすみ、と、改めて彼女にキスをひとつ落とす。ほら、今日はもう2度目だね。
心の中でそう伝えると、彼女からの不意の口づけに抱いた疑問はすぐに消えていく。
残るのは身体に響く心臓の鼓動と、愛おしさと。
あんな状態で、おかえりなさいのキスをくれたことがとても嬉しくて、
後はもう眠るだけだと言うのに、満たされていくエネルギー。
俺の方こそ、ごめん。
いや、ごめん、じゃなくて…ありがとう。
待っていようとしてくれなくていいんだ。
その気持ちだけで嬉しいんだよ。
*
一つ屋根の下に暮らすようになって初めて出くわしたそんな場面のことを、ふと思い出した。
寝ててくれていい、と言っても、今に至るまで彼女はなるべく起きていようとしてくれている。
現に昨日もソファでうとうとしていた。
もちろん、自分の身体と相談しながらなのだろうけど。
ドアを開けて部屋に入ると、いくつかの照明が点いたままになっているのが目についた。
そうか、今日も、なんだ。
俺より後に出た彼女が、自分よりも早く帰ってくる俺のためにつけておいてくれてる。
これも、一緒に暮らし始めてすぐにもらった彼女の優しさのひとつ。
広い部屋に控えめに浮かぶ柔らかな数個の光は、そのまま俺の心をすうっと照らしてくれる。
ここに暮らしているのは間違いなく俺と彼女なんだと、改めて教えてくれるんだ。
そんな暖かい思いのまま、疲れた身体をベッドに滑らせた。
君は、俺があまり遅くまで起きてると怒るから先に眠っておくよ。
だけど、今日も君が帰ってくるまでここの電気はつけておこう。
いつものように、君は、どうして消さないの?へんな敦賀さん、と言うだろうけど。
玄関の小さな灯りは、そしてリビングやベッドルームをつなぐ数個のライトは、
ベッドルームを照らす光はみんな、君が俺を見つける為の目印。
俺の所に間違わずに帰ってこれるように。
1人で広い家に帰ってきて、俺が眠ってしまっていても寂しくないように。
君が俺にくれる優しさを、君にも感じてもらえるように。そう思って、つけてるんだ。
もしかしたらそんな気遣いは必要ないのかもしれない。
理由を説明したらきっと君は、「私は大丈夫ですから!」って言うだろう?
今までも言葉を濁す俺に君は、少し不思議そうな顔をしてたからね。
ただ、俺がそうしたいんだ。
俺のために。…君のために何かしたいといつも願う、俺のためなんだ…。
おやすみ、キョーコ…今日も君が無事に帰ってこれますように…。
心の中でそう呟いて目を閉じた。
そばにいない時には寂しいけれど、その代わりに次に顔を見られる嬉しさを、胸に。
*
空気が動いたのを感じたのかもしれない。
だけど、それは多分少し前のことなんだろう。
遅れて気が付いた俺が目を開けたときには、
もう既にベッドルームの照明は落とされていて、隣には彼女の眠る姿があった。
おかえり、キョーコ。
身体を寄せて、向こうを向いている彼女の髪の毛にそっと触れた。
…今日は…どうだった?
帰宅前に交わした電話越しの会話の中でも何も言わなかったから、
特に何もなかったのかもしれないね。
もっとも君は、あんまりそういうことは言わないんだけど。
今日も疲れただろう?
朝までゆっくり、おやすみ…。
彼女が静かに寝息を立てる様子をしばらく見つめた。
そうして何分経ったかわからないけれど、次第に暗闇に目が慣れてきて
穏やかに眠り込む彼女の表情だとか、すべすべした頬だとか、
少し隙間の開かれた触れるまでもなくふっくらと柔らかな唇だとか、
そんなものが見えてきて、やっぱりどうしても…もっと触れたくなって、しまう。
1人で眠りについたごほうびを…少しもらっても、いいかな…。
彼女を起こすことのないように、俺との間に開かれた隙間を埋めていく。
上半身をわずかに起こし、頬に口付ける。
明日の朝には唇にキスをもらえるだろうから、今日はここで我慢。
もう一度身体を横たえて、彼女の身体をそっと抱き寄せた。
すっぽり収まる身体。
くっついた部分から伝わる温度が、再び俺を眠りへと誘う。
投げ出された彼女の腕に自分のを絡ませて、手を握った。
すぐそばにある髪にキスをして、おやすみ、と呟き目を閉じる瞬間、
絡めた指が俺の手をぎゅっと握り返してくるのを感じた。
そうして、無意識の彼女は俺の手ごと、自分の腕を胸の方に引き寄せて
そのまままた動かなくなる。
ただそれだけのことがとても嬉しく思えて、思わずニヤついてしまう。
本当に君にはかなわない。
いつだって俺の予想した以上のことをしてくれる。
こんな風に、無意識の時にだってね…。
いや…起きてても、無意識にやってるのに変わりはないのかもしれないな。
おやすみ、キョーコ…また明日。
胸に彼女の熱を感じながら、つられるようにして眠りへと戻っていった。
幸せはどこにでもある。
見つけようとすれば、それこそ過ぎていく1秒1秒の中にでも。
俺に、それを見つけようと思わせてくれたのは君と出逢ったから。
こうして2人でずっと生きていくことを、君が受け入れてくれたから。
君の中にある幸せも、君と一緒に見つける足元にある幸せも、
みんな君が教えてくれる。君に、教わってきた。
君の中に、道端に、足元に転がっているたくさんの俺の幸せ、
そして未来までも照らしてくれる…君は俺だけのサーチライト。
君にとっての俺も、そうあることができていればいいけれど。
2006/06/25 OUT