朝起きた私は、お弁当を作ってる。
敦賀さんと、私のぶん。お弁当箱は、ふたつ。
私はお休みだけど、敦賀さんは、お仕事。
多分、もうすぐ私にすまなそうな顔をして謝りに来るんだと思う。
そうね…出かけるまでには、言ってくれると、思うんだけど。
いつ言ってくれるのかな?って、待ってる。
今日だけの話じゃ、ないのよ?敦賀さん。
2日前から…私がそれを知った2日前からずっと、待ってるの。
2日前。
「ええ!?蓮の奴、キョーコちゃんに言ってないわけ…?」
「聞いてないですよ。なーんだ…お仕事なら早く言ってくれたらいいのに…」
ごめんね、キョーコちゃん、と、全然悪くない社さんが必死に謝ってくれた。
社さんのせいじゃないんですから気にしないで下さい、と、彼を宥めながら
私は少しだけ、怒ってた。
発端はこう。
私と敦賀さんのお休みが重なったから、その日は2人でお出かけすることにしたの。
2人で出かけられるのは久しぶりだったから、私はすごく楽しみにしてて、
地図を見ながら行き先も考えて、そうだ、お弁当作るね、って。
ところが、社さんから偶然聞いた話では、その日は急にお仕事に、なっちゃったらしいの。
だけど、私は、まだ敦賀さんの口からは聞いてないの。
それならそうって言ってくれてもいいのにね。
楽しみにしてる私をがっかりさせたくないって思うのはよくわかるけど。
言いにくかったのもわかるけど。
ね、敦賀さん。
優しいのかそうじゃないのか、わからないよ?
多分、恋人同士のときだったら、もうちょっと怒ってたかもしれない。
逢える、って思ってて逢えないのは、逆よりもずっとずっと悲しいもの。
だから、今日はちょっとだけ、イタズラ。
これくらいしたって、許されるよね。
「よおーっし…おべんと出来たっ」
出来上がった敦賀さんの分のお弁当の蓋を閉めた。
肝心の敦賀さん…は、さっきはまだ寝てたけど、
もうすぐ起きなきゃ準備が間に合わないだろうし…。
こっちに来ちゃう前に、私の準備も済ませないと。
そう思いながら、たった今出来上がったお弁当を
いつも2人で出かけるときのお弁当用に使ってる大きめの巾着袋に詰めた。
ふふ。
これを見たら、私がお出かけの為に準備したお弁当だって、思うかな。
ビックリして…何て言って謝るんだろう…。
想像してみるとなんだかおかしくて、ちょっと顔がニヤニヤしちゃう。
大丈夫。1人分だから、ちゃんと食べられますよ?
それから、敦賀さんが食べる分の朝食も、テーブルに用意しておいた。
作戦を実行したら、一緒には食べられないもんね。
自分用には、お弁当を作ったときの余ったご飯で小さくおにぎり。
ポケットにしまいこんだ。
「準備万端!…ダンナ様は、お目覚めかしら…ね?」
足音を立てないように、ベッドルームの前まで歩いて、中の様子をそっと窺ってみた。
少し開いた扉の隙間から、敦賀さんが起き上がるのが見える。
起きたらシャワーを浴びるはず。それから着替えてご飯食べて…
もうここには戻ってこないわよね。
じゃあ…作戦開始。
「おはよう、敦賀さん」
今日、すっごくいい天気。ねえ、敦賀さん外見た?
なんて言いながら、起き上がった彼におはようのキスをした。
唇を頬から離して目を見つめてると…あ、ほらほら…すごく、何か言いたそうに、してる。
待って、ここで言われちゃうと、ちょっとマズイから…
ベッドから出ようとする敦賀さんを
「今日は先に起きてたんだね」
手を繋いで、2人でドアに向かいながら敦賀さんがそう呟く。
そうなの。
準備がね、いろいろあったから、少し早めに起きて済ませちゃったの。
おかげで、可愛く眠るあなたを見ていられなかったのは残念だけど、
それは明日にとっておくね。
「早く目が覚めちゃったから」
少し先に歩く私がドアのそばに来たところで、
敦賀さんを外へ促すように立っている場所を入れ替えた。
ドアを挟んで敦賀さんが廊下。
私はまだベッドルームの中。
「キョーコ、今日出かけるって、あれ…」
あ、きたきたきた。
だけど、知らないふりをして私は敦賀さんを見上げた。
「なあに?」
言葉を濁しながら表情が曇る敦賀さんをじっと見て、次の言葉を待つ。
なんだか、ドラマの撮影みたいね。
違うのは…私だけが、台本を持ってる、ってことかな。
それと、敦賀さんが本当に本当に、私にごめん、って思ってる、ってこと。
「ごめん、実は今日仕事で…」
ほら。
それを待っていた私は、なんだか嬉しくなっちゃったけど
ここはやっぱり、ダンナ様のスケジュールを知らされなかった奥様になりきって…
「え?…ちょっとまって、今日、お休みだって言ってなかった?」
「急に仕事が入ってきたんだ。今まで黙っててごめ」
「お休みだったのに急なお仕事って…さっき決まったんじゃ、ないよね?…何で言ってくれなかったの!?」
少し語気を強めてみると、敦賀さんがビックリしたような顔で私を見た。
今の私は、怒ってる奥様なんだからね?
そんな顔したってダメなんだから。
って、ちょっとなりきり入って楽しくなってきた私が、いたりして。
ああ、ダメダメ。
「もっと前からわかってたんだよね?早く言ってくれたらよかったのに…すごく楽しみにしてたのに…」
効果を出すために、俯いて、ぼそっと呟いた。いかにも、悲しそうに見えるように。
でも…すごく楽しみにしてたのは、本当なの。
社さんから聞かされたときも、最初はとても残念でちょっぴり悲しくて。
「本当にごめん、キョー」
「もういいもんっ!敦賀さんなんか知らないっ…!」
私を抱きしめようとした敦賀さんの腕を振り払って廊下に追いやった後、ベッドルームのドアを閉めた。
わざとらしく、大きな音を立てて。
「キョーコ…!」
ドアを後ろにして、敦賀さんが私を呼ぶ声を少し遠くに聞く。
大丈夫、敦賀さん。みんな嘘だもの。
もう少ししたら、ちゃんと「いってらっしゃいのキス」もしてあげるからね。
迫真の演技、本当に怒ってるみたいに思えたかしら?
なんだか余計な体力を使った気がする。
ドアにもたれるように座り込んだ私は、ポケットからおにぎりを取り出してぱくついた。
敦賀さん、すごく申し訳なさそうな顔、してたな…。
そんな顔するなら、一言言ってくれるだけで良かったのに。
怒ってないと言ったら、きっと嘘になる。
だって、外は本当にお出かけ日和。
本当は、お出かけできないのがすごく残念だなあ、って今でも思ってる。
でも…あんな顔見ちゃったら、何も言えないよね。
お仕事が急に予定変更になるのだって、仕方のないことだし、
敦賀さんが悪いんじゃないってことくらい、私にもわかってる。
言ってもらえなかったことに対して、ちょっとだけ腹が立っただけなの。
私がすごく楽しみにしてたこともよくわかってるからこそ、言い出しにくかったのかもしれないけどね。
それも、よく、わかってる。
ドアの前で少しだけ、私をなだめようとしてた敦賀さんが、
やがて時間に追われてバタバタと用意をしているの音をぼんやりと聞きながら、
ベッドサイドまで歩き、置いてあった水差しの水を飲んだ。
ベッドに寝転がってみると、敦賀さんの温度がまだ少しだけ残ってる。
そのままシーツをかぶったら、まるで敦賀さんに包まれてるみたい。
自分以外の熱と、香りと。
今日はこうやって、過ごしてようかな…。
そしたら敦賀さんが隣にいてくれてるみたいに思えたり、するかもしれない。
あー…なんだかんだ言って私、結局、敦賀さんのそばにいられないのが寂しいだけなのかも。
結婚までして、同じ部屋で寝起きしてるのに、まだ足りないんだ、私。敦賀さんが。
「キョーコ…?」
ベッドルームのドアをノックしながら、敦賀さんが私を呼ぶ。
もうすぐ出かけるのかな。そろそろそんな時間、だもんね。
何分くらいここに篭もってたんだろ、私。30分…もう少し長かったかな。
ベッドから抜け出してドアまで近づき、聞き耳を立てた。
「今日のことは本当に、ごめん。じゃあ…出かけてくるから」
沈んだ声で敦賀さんがそう言うのを聞いてたら、私の方が悲しくなってきちゃった。
怒ってたはずなのに、そんな風に言わせてしまった自分のほうが、
なんだか悪いことをした気分に、なって…。実際に、ちょっと悪いこと、しちゃったんだけど。
ドアを開けると、敦賀さんが玄関へ向かうのが目に入った。
最後のミッションの為に、フェイクを入れたお弁当を取りに行くと、
敦賀さんのために用意しておいた朝食が綺麗になくなってるのに気付く。
食べてくれたんだ。きっと…時間ぎりぎりだったはずなのに。
やだな、もう…そんなことだけで、心の中のもやもやが、なくなっちゃうんだから、私。
単純。
玄関へ続く廊下を歩く敦賀さんに、こっそりと近づく。
最後に、もうひとつだけ残ってる作戦。
その背中に腕を回して、ぎゅーっと抱きついた。
ビックリした敦賀さんの身体が一瞬こわばる。
だけど伝わる熱は、私の心を少しずつ溶かして。
「っ、キョ、キョーコ…」
「ごめんね、敦賀さん。さっきの全部嘘なの」
驚いた顔をしてこちらを向いた敦賀さんに、笑顔で応える。
もう、怒ってないよ?ごめんね、だましちゃって。
「いつ言ってくれるのかなあ、って、待ってたんだよ?今日のこと」
「って…キョーコ、もしかして知って…」
「ん、知っちゃってたの。でも、敦賀さん言ってくれないから…ちょっとだけ、お返し」
「そうか…」
敦賀さんが身体の向きをこっちに変えて、改めて私をぎゅーってしてくれた。
こんなことだけで、十分に満たされる。
「君が…すごく楽しみにしてただろう?だから…」
「ん、もう…いいの」
「ごめん、本当に…」
「だから、いいってば…」
わかってる。
今日のこと、敦賀さんも残念だなって思ってくれてるはずだから。
だから、もういいの。
「はい、お弁当」
「それ…」
「1人分だから安心してね」
「ありがとう」
本当に、ごめんね。
敦賀さんがそう呟いて、私の額にキスをした。
よかった、敦賀さん。いつもみたいに笑ってくれた。
きっとわかってるよね。さっきのこと、全部ただの演技だってことも。
ほらほら、早く行かないと、社さん待ってますよ?
「食べるとき、電話してくれる?一緒に、食べるね、私も」
「…了解」
敦賀さんがお弁当を手に持って靴を履くのを見てたら、もっともっとぎゅーってされたくなった。
ほんとだったら、ずっと、くっついて過ごせるはずだったから、
まだ身体が甘えたい気分のままなのかも。
でも、それは…夜にとっておこう。
だから、あなたは心配しないでちゃんとお仕事してきてね。
今日のことは、いつか埋め合わせしてね。
それで…無事に帰ってきたら、もう…離れてやらないんだからね。
おかえりなさいのキスをしたら、いっぱいぎゅーって、してね?
靴を履いて、私の方を向いた敦賀さんに、こっそり呟いた。
身体を寄せて、敦賀さんが少し屈むのに合わせて私も背伸びをする。
唇を近づけながら囁きあった後、いつもの「いってらっしゃいのキス」。
「じゃあ、行ってきます」
「…ん、行ってらっしゃい…」
電話、待ってるからね、敦賀さん。
一緒に、お昼ご飯食べようね…
2006/05/02 OUT