好きなもの -REN

From -MARRIED

好きなものは何かと聞かれても、深く考えないことが多かった。
自分のことについて考えるのならともかく、
そんなことを他の誰かが知ったところでどうするんだろうと思ったこともあったけど、今ならわかる。
相手に興味を持ったり、その世界に触れたいと思った時の、いい近道なんだ。
それを自分が好きになれるかどうかは別としても、
確実に自分の世界が広がるし、相手を好きなものごと、愛せるようになる。
好き、なんて、言葉にすれば簡単だけど、本当はすごく奥が深いんだろう。
俺にだって、未だにはっきりとした答えはわからないんだから。
愛しい彼女に対して抱えているいろんな種類の気持ちを、 一言で表さなければならないとしたら、
「好き」が互いにわかりやすくてちょうどいい、くらいにしか。
ああ、もう1つ、あったな…「愛してる」。これも本当に、深い言葉だ。

そして、矛盾しているかもしれないけれど、わかりやすい。
彼女に向かってそう囁く。そして彼女が顔を真っ赤にして頷いてくれたり、
夢うつつに同じことを呟いてくれたりするだけで、 世界のすべてに感謝したくなるくらいの力がある。
そういう存在が自分にもできたということ、それが誰でもない目の前にいる彼女だったこと、
それから、自分がこの世に生まれてきたことにすらも、感謝できる。

「ねえ敦賀さん、明日の晩御飯はどうしよう?私、早めに帰れそうだから、敦賀さんの食べたいものがいいかなあ、って思うんだけど」

家の近くのスーパー。
俺がカートを押して、彼女は売り場を行ったりきたりしながら
ああでもないこうでもないと商品を選んでいる。
普段はそれぞれ時間が出来た時に寄ることが多いけれど、たまにはこうして2人で買い物をしたりも、する。
結婚してからと言うもの、恋人だった時には出来なかった全ての事が
自由にできるようになったおかげで、毎日がとても楽しい。
もちろん、恋人だった時もそれはそれでとても楽しかったけれど、
どういえばいいんだろうか、まったく別の種類の楽しさ、なんじゃないかと思う。
恋人に戻る、以外のすべての事が、自由だ。
今だって、他人に言わせれば恋人同士みたいにラブラブ、だそうだし、
俺も彼女もきちんと意識して区別してるわけではないから、
互いを知らなかった頃に戻る以外の事だったら、何でもできる、かな。

「敦賀さん、何か食べたいもの、ある?」

彼女の買い物する姿を見つめながらあれこれと考え事をしていた俺を
今度は彼女がそう言ってじっと見つめる。
ぷるぷるとした唇が、今日はピンクのグロスに彩られていて、とても可愛い。
自分にそのグロスが移ってしまうことも構わず、今すぐにでも食べてしまいたいくらいだ。
うーん…外でキス、は、結構したことある…かな。
こんな明るいところではなかったけれど、夜に別れる時には必ずしていたっけ…。
人が大勢いる中、指先に乗せた密やかな想いを繋いでみたり。
その度に、俺と彼女の距離が少しずつ縮まっていくのを感じることが出来て
とても幸せだったな…。もちろん、今もそれは同じで。

「敦賀さん?」

俺の顔を覗き込む頬に手を添えた。
ああ、今日もすごく綺麗で可愛いよ、キョーコ。
おかしいな…出かける前にも呆れられるくらいキスをしたはずなのに…
また、キスしたくなった。

「ダ、ダメっ…ほら、人が見てますっ」
「何もしてないよ?」

そう、ただ柔らかくてすべすべなほっぺを触ってるだけ。
人前でこういうことをしてても、別にどうということもない、
ごく普通で、だけど結婚する前の俺たちにはとうてい得がたかった、そんな幸せを味わってるだけなんだよ…?
だけど、やっぱりほっぺだけじゃ物足りない。

「キョーコ…帰ったらキスしてもいい?」
「も…ダメって言ったってするじゃない…っ。そんなことよりも明日の夕食のこと聞いてるのっ」
「何でもいいよ。キョーコの作るものはみんな美味しい」
「そっ、そういうのが困るっていつも言ってるのに…食べたいものはないんですか?」

まるでちぐはぐな会話に、彼女が少し怒り出した。
食べたいものはないかと聞かれて、すんなり答えることも少ないからなのだろうか。
すんなり答えないというか、まあ、答えられない、というのが正しいのだけど。
俺は彼女のそんな質問にはほとんどと言っていいくらいそうやって曖昧に返すから
彼女からしたらもはや常習犯のような勢いかもしれない。
本当に、何でもいいんだけどな。
それは、どうでもいい、からということではなくて、彼女が作ってくれるなら
何だって嬉しい、そういう意味だってこと、きっとわかってもらえてるとは思うけど。

「そうだね…ちょっと待って」

俺の…食べたいもの…
考え込む俺を、彼女はかなり期待の混じった目でじっと見つめている。
そんな彼女を見て、つい思いついたことを口にしてみた。

「ハ…ンバーグ、かな。目玉焼きの乗ったやつ」

だけど俺の言葉に彼女はなんだか微妙な表情を返す。
あれ…?
これは彼女の好きなメニューなんだし、
何よりもちゃんと俺の希望として伝えたんだから喜んでくれると思ったのに。

「それ…私の好きなメニュー…」
「嫌?」
「…本当に食べたいって思ってる?」

思ってる。
もちろん、美味しいから俺も気に入ってるメニューの1つだけど、
君が美味しそうに食べるのを見られるから、俺も食べたいって思う。
それじゃ…ダメかな。

「思ってるよ」
「ついこの間、私が食べたくて作ったのに、いいの?」
「うん」
「敦賀さん、目玉焼き乗せハンバーグ本当に好き?」
「好きだよ」

近くにいた人が、妙に照れくさそうにしながらそそくさと俺たちの横を歩いていく。
「ハンバーグが好き?」「好きだよ」、という会話の内容にしては、
雰囲気がそれに似つかわしくなかったんだろうか。
だけどまあ…目玉焼きのせハンバーグはもう彼女の一部といってもいいくらいだから…

「大丈夫、本当に好きだから」
「…じゃあ、本当にハンバーグでいいんですね?」
「うん。食べたいな」

俺の顔をしばらくじっと見ていた彼女が、やがてふわっと笑った。
それはとてもとても、嬉しそうに。
何度も見ていて、本当なら慣れていそうなものなのに、
相変わらず俺は彼女の笑顔を見ると、
昔の名残なのか少しだけ顔が強張って、平常心を保てなくなる。
今はすぐに顔が緩んでしまうのだが、心臓が早鐘を打つ、という点から言えば
かえって昔よりも症状がひどくなってるかもしれないな。
それで、もっと彼女に近づいてみたくなる。触れたくなる。
平たく言えば、抱きしめてキス、したくなるんだ。

「じゃあ、はりきって作るから、楽しみにしててね」

ごめん、キョーコ。
やっぱり本当は、純粋に好き、なのとは違うのかもしれない。
俺が君のことを「好き」なようには、俺は目玉焼きのせハンバーグのことを「好き」では
ないのかもしれないけど、それでもやっぱりこの気持ちは「好き」なんだと思う。
君が目玉焼きのせハンバーグを「好き」で、本当に嬉しそうに美味しそうに食べるから、
それを見ている俺も、嬉しくてたまらない。
君の作った目玉焼きのせハンバーグは、そんな幸せな気持ちも一緒に連れてきてくれるんだ。
元は君の「好き」なもの。
だけど、俺の世界を広げてくれて、君との架け橋にもなってくれた。
だから、「好き」だよ。何度でも、食べたいと思う。
君の作った目玉焼きのせハンバーグを、君と一緒に食べたい。

それで、いいかな?

材料をうきうきと選んでいる彼女に向かってこっそり話しかけてみる。
これから何回、君と一緒に食べるんだろう。
まだ見えない、だけどきっと存在するはずの2人の未来に思いを馳せる。
それが、数え切れないくらい、であればいいな、と、願いながら。



2007/03/25 OUT

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