「ただいま…っ」
いつものようにチャイムを鳴らしてからキーを差し込んでドアを開けると、中は真っ暗。
敦賀さん、まだなんだ。
私のほうが遅いかと思ってた。
早く帰れるかも、って言ってたのに。
携帯電話を見ても、メールも着信もない。
ヒマを見て連絡をくれるときもあるけど、忙しかったらそれもできないもんね。
今日は帰ってくるのは間違いないはずだから、待ってようっと。
手に提げていたビニール袋をリビングのテーブルに置いた。
ソファに座って、袋から白い箱を取り出す。
中身は…
「やっぱり美味しそう…早く食べたいな…」
みっつ並んだシュークリーム。
今日の最後の現場でついさっきもらったものなの。
行列が出来るほどの有名なお店のもので、
すごーく美味しくて、なかなか手に入らないんだって。
たくさん差し入れしてもらったからなんだけど、私1人で3個も、もらってきちゃった。
早く敦賀さんにも食べさせてあげたくて、一緒に食べたくて今日は急いで帰ってきたの。
なのに、いないんだもの。
もう…敦賀さん早く帰ってきて。
「早く帰ってこないと、全部私が食べちゃうからね?」
なんて言ってしばらく待ってみたって、玄関が開く様子もなくて。
いつ帰ってくるかもわからないし、こうして何もしないで待ってるのも
なんだかおかしいし…。
あ。
そうだ。
お茶の用意、してたらちょうどいいかも。
でも、そう思ってキッチンに入ってケトルをセットしようとしてふと考える。
いつ帰ってくるのかわからないのに、まだ沸かしちゃったらダメよね。
すぐ沸くから敦賀さんが帰ってきてからにしようっと。
ん…でも今日は他に残ってる家事もないのよね…。
今日は出かける前にお洗濯もしちゃったし、乾燥機にかけておいたからあとは畳むだけ。
そもそもそんなに洗濯物がたくさんあったわけじゃないからそれもすぐに済むし、キッチンも片付いてる。
晩御飯はお弁当、食べてきたし、きっと敦賀さんもそう。
いつもなら私が先に帰ってきたら、家事やいろんなことしてるうちにすぐ敦賀さん帰ってくるのに。
あーん、もう。
今日はなんでこんなに時間が経つのがゆっくりなの!
ベッドメークして、それからお風呂の用意をして、洗濯物を畳んで。
待ってる間にドラマでも見ようかと思ってリビングのソファに座ってテレビをつけてみる。
けどなんだか落ち着かない。
私、敦賀さんと食べようと思っててみんなが食べてるときには我慢してたのよね。
すごく美味しそうに食べてたから、きっとものすごーく美味しいはず。
…食べたいな…。
ひとくちだけ…いいよね、これは私の分だから食べちゃお。
そう思ってシュークリームをぱくついた瞬間、チャイムが鳴った。
や、やだ、敦賀さんだ。帰ってきちゃった。
慌てて食べかけの半分をおいて迎えに出る。
「おかえりなさいっ…忙しかった?」
玄関では、敦賀さんがちょうどドアを閉めたところ。
近づきながらそう言うと、敦賀さんもこっちに手を伸ばして、私はそれをぎゅっと掴んで、
それからぴたっと抱き合った。
あー…敦賀さんだ。おかえりなさい。
「ん、最後少しバタバタしちゃってね…連絡できなくてごめん」
「ううん、大丈夫。私もさっき帰ってきたところだから…」
シュークリームを一緒に食べたくて、敦賀さん早く帰ってこないかなってずーっとそわそわしてたなんて、
きっと笑われちゃうから黙っておこう。
敦賀さんにとびきりの笑顔を見せて、それからいつもみたいにおかえりなさいのキスをした。
おかえりなさいのキス、なんだけど、唇をくっつけて離して、を何度も繰り返して
少しだけ絡ませたりして…玄関でするキスじゃ、ないのに…。
でも2人でいるときには自然とそういうキスになっていってしまう…気がする。
身体を少し離してからまた、2人で微笑み合う。
今日も一日無事に終わってまた敦賀さんに逢えた。
何事もなく帰ってきてくれた。
そんなことだけでもすごく幸せなんだっていう想いは、結婚してしばらく経った今でも最初の頃と変わらない。
毎日思ってるの。
どうやって伝えたらいいのかな…?
言葉にしたってすぐに想いの方が大きくなっていくから…言葉はあんまり役に立たないな、って。
そう思いながら少し、敦賀さんの顔を見てたら、なんだか妙な表情をしてるのに気付いた。
え?どこ見てるの?
不思議に思ったその瞬間、敦賀さんの指が私のほっぺたをちょん、と突っつく。
「なあに?」
「何かついてる」
「えっ?」
その言葉にビックリしていると、敦賀さんの顔がまた近づいてきて、ぺろ、と舐められる感触。
「甘いもの、食べてた?」
慌ててほっぺたを押さえると、敦賀さんがとっても楽しそうに笑い出した。
や、やだ、もうバレちゃった…。
こっそり食べ始めた途端に帰ってきて、全然気付かなかった。
まあ…黙ってたってリビングに行けば半分食べかけのシュークリームが目に入るわけで…
さっきの私の努力って、一体何だったのかしら。
「あ、あのね、あの、美味しいシュークリームもらったから、敦賀さん帰ってくるの待ってたの。
先に…ちょっとだけ食べちゃった、ごめんなさい」
「なんだ…謝らなくていいのに。ごちそうさま」
おまけ、美味しかったよ、と呟きながら、もう一度、敦賀さんが頬にキスをくれた。
顔が真っ赤になるのが自分でもよくわかる。
もう…こんなことなら敦賀さんが帰ってくるの待っておけばよかった…。
慌ててるとロクなことがないってほんとよね…。
「敦賀さんのもちゃんとあるの、心配しないでね。わ、私、お茶入れてくるからっ」
ちょっとした後ろめたさが、たくさんの恥ずかしさに変わってしまって少し取り乱し気味な私。
それをごまかすように敦賀さんの手を引っぱってリビングに向かった。
敦賀さんに隠し事なんて、この先もできそうもない。
別にそんなことをしようと思ってるわけじゃないんだけど、
何だか、敦賀さんの手のひらの上でコロコロ転がされてる気分。
ちょっとは大人の余裕も出てきたかな、って思ってたのに…。
*
「やだ、もうこんな時間」
2人でお皿を洗い終えてリビングに戻ると、時計が示していた時間は11時半。
私…結局2つ、食べちゃったのよね…敦賀さんがクスクス笑いながら
2つ食べていいよって。
1人で食べた半分もすごーく、美味しかったのに
2人で一緒に食べたのはその何倍も美味しかったの。
大好きな人と一緒に食べるものは、普段よりもずっと美味しくなるっていう魔法、
敦賀さんに関しては期限がないのね。
一緒に食べてるときは、本当に美味しくて、楽しくて…って、大好きだから、期限がないのも当たり前、よね。
それにしても、我慢して持って帰ってきて本当に良かった。
だけど。
シュークリーム…確かにすごく美味しかったけどそのぶんカロリーも気に、なる…。
どうしよう。
こんなに夜遅くに食べちゃった。2つも。運動しなきゃ…。
「私、バイク漕いでこようかな?」
「何…心配?」
「だって2つも…食べちゃったし…敦賀さんが薦めるからですよ?」
「君があんまり美味しそうに食べてるから、可愛いなって…思って」
私を膝の上に乗せてる敦賀さんは、大丈夫だよ、って言って私の髪に顔を埋めたりしてる。
そうかな…。
確かに私は華奢というか、どっちかと言えば身体にボリュームがないことで悩んでるほうだけど
それでも女の子だもん。人前に出る仕事だし…むくんじゃったりとかしたら、大変。
…よし。そうしよう。今から少し運動したら、1つ分くらいは消費できるかも。
「やっぱりちょっと運動してくるね。敦賀さん先にお風呂入ってて?」
そう言ってソファから、正確には敦賀さんの膝から降りようとしたら
反対にぐっと抱きとめられてしまう。
「ちょ、敦賀さん早く寝なきゃ明日も早いんでしょう?」
「付き合おうか?」
離してもらおうと思って改めて顔を見た私の頬を撫でながら敦賀さんが笑う。
付き合おうかって?
…バイク?
敦賀さんも運動、する?
「ベンチプレスでもするの?」
「そうじゃなくて…2人でも出来る…適度な運動、かな?」
意図がわからなくて尋ね返した私に、まるで謎解きのように言葉を紡ぐ。
2人で出来る適度な運動って…だってバイクはひとつしかないし
私はベンチプレスなんてやらないし。
何のことだろう。
「汗もかけるし、そうだね…一緒に気持ちよく、なれるよ」
あれこれ考えをめぐらせていると、敦賀さんがそう言って私をもう一度抱き寄せてから、
耳や頬、まぶた、そして唇にキスの雨を降らせ始める。
な…っ…い、いくら鈍い私でもそこまで言われたらわかる。
「ちょ…っ、つ、敦賀さんダメ、ダメです、ダメですからねっ…って…ん…」
遠まわしに聞こえて、でもちっとも遠まわしじゃないお誘いとキスで
私の身体に火をつけようとする敦賀さん。
腕の中でじたばた暴れながら口にした言葉は彼の唇に吸い取られてしまう。
ってもう、ほんとにダメだもんっ!
聞いてる?敦賀さん、ねえったら…
だって……昨夜もあんなにしたの…忘れたの?
2006/06/15 OUT