また君より早く目が覚めてしまった。
朝の空気が柔らかく吹き込んでくる初夏のベッドルーム。
いくつか並べられた中から2つの枕を占領している彼女は、
ブランケットから腕を出して俺のパジャマをぎゅっと掴んでいる。
そんなに離れたくない?
…なんて、心の中で問いかけてから、つるんと滑らかな頬にかかる髪をそっとかきあげた。
長いまつげに縁どられたまぶたに鈍く光が差す。
カーテンの向こうは晴天だ。
こんな日は、2人でどこかに遊びにでも行ければ楽しいんだろうね。
もちろん、そういうわけにはいかなくて、俺も君も仕事なんだけど。
仕事が嫌なんじゃない。
君と、そういう風に過ごせたら、ただ幸せだろうと思うだけ。
できたら、普通に手を繋いだり、歩きながらそっとキスをしたりできるような、そんなところに…
パジャマを掴む腕を動かさないようにゆっくりと起き上がる。
すう…と一息大きく呼吸をして、それからまた静かに夢の中へと戻っていく恋人の様子を見下ろした。
顔に浮かぶ表情はとても穏やかで、少しだけ微笑んでいるようにも見えた。
一緒に眠っている時間はとても好きだけど、お互いの様子はわからない。
だからこうして先に起きたときには、眠っている君を眺めているのも楽しい。
もちろん、君に可愛く起こしてもらうのもいいけれど、ね。
もう少し寝かせておいてあげよう。タイムリミットまでは。
少女のように無垢で楽しそうな寝顔。
キョーコ…眠っている君は今、どんな夢を見てる?
*
目が覚めたら、視界は全部真っ白だった。
あれ?
ここ…どこだっけ
そう考えながら、ゆっくり身体を起こすと、隣にいるはずの敦賀さんがいない。
私、昨夜は敦賀さんのお部屋に来てたはずなのに。
あたりを見回してみると、視界が全部真っ白だと思ったのは壁やカーテンが白いからだと気付いた。
ここ、敦賀さんのお部屋じゃ、ない。
良く見たら白い壁は素材が木だし、ペンキで白く塗ってあるみたい。
同じく白い天井からは天蓋がかかってる。
あ、そのせいで、景色がぼんやりしてたんだ。
そして壁や天井だけじゃなくてベッドも枕もシーツも何もかもが真っ白。敦賀さんのベッドよりも少し狭い。
でも…隣に誰かが寝てた跡はある。一緒に寝てたの…敦賀さん、よね…?
「おはよう、起きた?」
見たこともない部屋に不安になっていると、この白いベッドルームのドアに敦賀さんが立っていた。
いつものように微笑みながら朝の挨拶。それから私のほうに歩いてくる。
ああ、良かった。
敦賀さんいてくれた。
ねえ、ここ敦賀さんのお部屋じゃないよね?
「もう忘れたの?…昨夜着いたばっかりなのに」
ベッドから降りて敦賀さんに近づくと、私を優しく抱きとめながら敦賀さんが言う。
ここ…?
って…どこだっけ…?
そんな言葉を聞いても状況がわからない私に、敦賀さんはくすくすと笑いながら続けた。
「休みを取って日本脱出、してきたんだよ」
そ…うだったっけ。
敦賀さんの腕の中で髪をなでられながら目を閉じて記憶の糸を辿ってみた。
そういえば、そんな気も、してきた。
ドラマのお仕事ひと段落して、次のお仕事まで間があったから少しだけお休みもらったんだ。
でも敦賀さんは…どうやってスケジュール調整したんだろう。びっしりだって言ってたのに。
そんな話、したかな?
まあ、いいか…だってもう日本を出てきちゃったんだもんね。
もしかして、海外旅行ってこと?
あれ、だけどここのお部屋って普通のホテルじゃあ、ないみたいだけど…。
「長期滞在できるログハウスだよ。君がここがいいって言ったの、忘れた?」
私、そんなこと言ったんだ。
…すごく疲れてたのかな。全然思い出せない。
でも、お休み取って敦賀さんと2人きりでどこかに来るなんて初めて。
そんなこと出来るなんて思ったこともなかったから、どうしよう、すっごく嬉しいな。
疲れてることなんか、すぐに忘れちゃいそう。
「朝ご飯できるまで、散歩にでも行こうか?」
敦賀さんに言われるままに、出かける用意をして外に出た。
すごくいいお天気。
少し歩いてから振り返ると、私たちが泊まってる建物と同じものがいくつも並んでる。
そうか、こういう形態のホテルなのね。
白くて小さめな家たちと青空のコントラストがとても綺麗。
前庭の芝生の中に続くアプローチを抜けて、舗装された道を2人で歩き出す。
「キョーコ、おいで…ほら」
景色をぐるっと見渡してると、先を行く敦賀さんが私の方を向いて手を差し伸べてくれてた。
駆け寄ってその手を取った。
大きな手に、自分の指を絡ませて繋ぎ合わせる。
外で、手を繋いで歩くのなんて…滅多にないから、なんだかくすぐったい。
手を繋ぐことが初めてなんじゃないのに、外の明るさにドキドキして、
そのドキドキが手をつたって敦賀さんにもバレちゃってたりして、ね。
そんな気持ちを何て言っていいのかわからなくて、隣の敦賀さんを見てみた。
「ん?」
なんでもない。
優しく微笑んでくれる敦賀さんに、笑い返す。
…ただ、嬉しいだけ。
こんな明るいところで、あなたと手を繋いで歩けるなんて。
サングラスも、帽子も、変装なんて必要ない。
見た限りでは、日本の人も見当たらない。
もしかしたら私たちのことを知ってる人が、いないんじゃないかな。
ただの恋人同士でいられることが、こんなに気持ち良いことだったなんて。
敦賀さんに対して抱いてる想いがとても純粋なものになっていく気がする。
好き。って…ただそれだけ。
ただ…好きなだけだって。
道の端に咲いているたくさんの花や、植えられている樹、少し離れたところに見える青い海。
目に映るもの全てがキラキラしてるように見えて
そんなことを他愛無く敦賀さんとおしゃべりしてるだけで、なんだかどこまでも歩いていけそう。
…ずーっとここにいたいな。
だって…何も考えなくても、道の真ん中で名前を呼べるし呼んでもらえるし、きっと外でご飯も食べられる。
私が敦賀さんの隣にいることを、誰も疑問に思ってないみたい。
それどころか見知らぬ私たちに挨拶してくれて、指を絡めて手を繋いでたから、仲良いねって言われちゃった。
うふふ。
言葉は私はまだわからないけれど、きっとすぐに話せるようになる。
それまでは敦賀さんにちょっとだけ頼っちゃうけど…いいよね。
少し長めのお散歩から帰ってくると、テーブルには朝ご飯が並んでた。
お部屋に1人、シェフがついてくれてるんだって敦賀さんが教えてくれた。
そうなんだ…すごいのね。
ああ、歩いたからお腹がすいちゃった。
それに…すっごく美味しそう。食べきれないほどのご馳走。
ねえ敦賀さん、早く食べよう?
「そんなに急いで食べると、喉につまるよ?」
向かい合って食事を始めながら、敦賀さんがクスクスと笑う。
子供じゃないんだから大丈夫よ。
でも食べるより敦賀さんと話すほうが楽しくて、なかなか進まない。
こんなにゆっくりと2人だけで朝ご飯なんて、久しぶり。
お仕事なんてないんだもん。どれだけ時間かけてもいいよね。
食べ終わってみたら、いつもより多いメニューに欲張っちゃった私。
あーん、食べ過ぎちゃった…お昼までにお腹すくかな?
なんて呟いてる私を膝に乗せた敦賀さんは、とても楽しそうに笑ってる。
いつものソファと大きさの変わらない、ちょっとだけふかふかなソファの上で
やっぱりいつもみたいに後ろから抱っこされて。
私達、結局いつもと同じことしてる。
一緒にいられる間はずっとくっついて過ごして…夜には…きっとそういうこと…もしたりして。
だけど、日本じゃないってだけで、気分がすごく開放的。
ね…敦賀さんは…ずっとここにいたいとか、思わない…?
振り返って見上げると、待ち構えてたみたいに近づいてきた敦賀さんにキスされてしまった。
重ねた後は唇をそっと押し付けるようにして感触を確かめ合う。
そのうちに唇と同じように手を重ねて指を絡めて。
もっと先を欲しくなった私が、唇を少しだけ離して姿勢を変えて敦賀さんに向き合うと
すぐにまた塞がれてしまう。
おねだりに応えてくれる敦賀さんにそのまま身体を預けていると
その体温が、すこしずつまどろみを連れてきてるのがわかった。
どうしよう…さっき起きたばっかりなのにすごく眠たくて…
「…コ…キョーコ、起きて…時間だよ」
顔をくっつけてキスしてたはずなのに敦賀さんの声が少し遠い。
ん…なんでやめちゃうの、もっとちゅーして…?
そう言おうとして目を開けた。
飛び込んでくる見慣れた景色。
いつものベッド、隣では先に起きてたらしい敦賀さんが私を優しく見下ろしてる。
間違えるはずなんてない。…ここは敦賀さんのお部屋。
今の、全部夢だったんだ…。
起こしてくれようとする敦賀さんにつかまって起き上がりながら、夢の中の風景を必死に思い出す。
そうだ…白いログハウス風のお部屋は、少し前に雑誌の撮影で使ったところと同じ。
外国のちょっとだけ田舎みたいなところにありそうだなって思ったから、あんな風に出てきたんだ。
すごく素敵で、こんなお部屋で寝起きできたらきっと楽しいな、って。
それで撮影中に敦賀さんのこと思い出しちゃって…。
「おはよう、キョーコ。すごく、楽しそうに眠ってたよ。何かいい夢でも見た?」
2人で目覚めたいつもの朝と同じように、互いに身体を寄せ合いながら敦賀さんが私に問う。
うん、すっごく…幸せな、夢。
あなたと手を繋いで、歩いてたの。
予定も何もない時間のなかで向かい合ってゆっくりご飯を食べて、それから抱き合ってキスして…。
こんな都会じゃなくて、自然の色がいっぱいで、光がキラキラ輝いてて
それだけでもう何もいらないな、って思えた。あなたといられる景色の中でずーっと…。
私の中の潜在意識が見せた夢、なのかな。
本当はあんな風にしたいって思ってる、のかな、私。
現実の私と敦賀さんにはお仕事もいっぱいあって、
2人のことは最高機密で、外で手を繋いで歩くなんてとんでもない話で
私と敦賀さんじゃ、釣り合ってないって思われてて。
釣り合ってないどころか、多分そういう仲だってことを疑われることもない。
さっきの夢で私はとっても幸せだった。2人でいることをあたりまえみたいに受け入れられてる世界。
だけどちゃんとわかってるの。
今だって、いろんなことはあるけれど、こうして敦賀さんといるだけで十分幸せ。
そういう時間を持てるだけで。
まどろみに消えてしまった幸せな風景。だけど私の中にきちんとしまわれてる、景色。
夢の中でも、私はちゃんと私だったし、敦賀さんはいつもの敦賀さんと同じだった。
私と敦賀さんが2人でいることを私達以外の人が喜んでくれて、それが自然であたりまえで、
手を繋いで外を歩いても何も言われない、そんな時間が、いつかの未来に現実になったら…いいのにな。
ずっとずっと敦賀さんのそばにいられたら…いいのにな。
敦賀さんが私のことをいらないって思うまでは、そばに、いたいな。
だから、それまではあなたの隣にいさせてね。
おはよう、敦賀さん。今日もお仕事、がんばろうね。
そっと呟いて、大きくてあたたかい身体に回した腕にぎゅっと力を込めた。
小さな幸せが詰まってる毎日の繰り返しがきっと、幸せな未来につながっていく。
2006/04/16 OUT