君のしるし -REN

From -LOVERS

手を伸ばせばすぐそこにいてくれて、キスしてもいいか聞いて
返事を待たずに自分の好きな時に何度でもキスをすることができて、
何もしなくていいと言っているのに、俺の家のことをなんだかんだとやってくれる、
そんな彼女が家事をこなす姿を飽きることなく眺めていられて、ついでにその手伝いをして、
抱きしめたらずっと腕の中にいてくれるなんて。
俺はこの世で一番の幸せ者だ…。

と、彼女が部屋に来てくれるときにはいつもこんな感じになる。
我ながらわかりやす過ぎてどうかと思わなくもないけれど、本当のことなんだから仕方がない。
少しずつ距離を詰めていって、あれこれと手を尽くして、やっと手に入れたこの幸せを思うと
多少は顔が緩んでしまったって誰にも文句は言わせない。

「…るがさん、敦賀さん…敦賀さん?どうかしました?」
「ん、あ、いや、何でもないよ、キョーコに見惚れてた」
「も…なんて…」
「だって本当のことだし」

俺の名を呼ぶ可愛らしい声に、我に返る。
そうだ、そう。
今日もこうして彼女が部屋に来てくれていて、食事をした後はずっとくっついてる、というか…
抱きしめさせてもらってる。
何日ぶりかに逢ったので、身体が飢えてるんだ。
あ、いや、そういう意味じゃなくて、まあ多少はそういう意味もあるんだけど、
少し逢わないだけで、細胞レベルで枯渇していきそうな気がして。
実際そうだと、思う。
だから、久しぶりに逢うと抱きしめるのはもちろん、
彼女が拒まなければ身体の隅々にまで触れて、自分を潤してやる。
前に逢った時と何か違うことがあれば、それを探すのも楽しいし。
例えばちょっと髪型が違うとか、見たことのないメイクをしてるとか、
初めて見る服だとか、妙にうきうきしてれば琴南さんと何かあったな、とか。

今日はどうだったっけ…自分が逢えて嬉しいというのが先に立って
なんかすぐにぎゅっと抱きしめてしまって、キスをして、
いいって言われるのも構わず抱き上げてそれからリビングに来たら
食事の用意をするといって、食事をして、片付けを手伝って…待てよ?
そういえば今日は、何かを言いたそうな雰囲気のことが何度かあって、
聞いてみようとしたらその度に彼女が違うことを口にするもんだから
ちょっとおかしいな、と、思ったんだっけ…?
その後も結局、問い詰めるまではいかなかったし。

「えー…っと、ごめんね敦賀さん、えっと…あの、お手洗い…」
「あ、ああ、ごめんごめん、はい、行ってらっしゃい」

慌てて彼女に巻きついていた手を離すと、少し笑いながら彼女がトイレの方へ歩いていく。
部屋でずっと一緒、とはいえ、風呂とトイレは別々なんだよな…。
風呂なら、と思い一緒に入ろうと誘っても10回に9回は断わられてしまう。
今まで数えるほどしかない「一緒にお風呂」では、
つい我慢できずにもれなく襲い掛かってしまっているので、
それが、もしかしたら彼女の心に引っかかるものなのかもしれない。
ゆっくり風呂に入れるように自制したつもりではある…けど…
…そこまで考えて、何だか自分のことがとてもおかしくなってしまった。

あれ、今、キョーコ、カバン持って行った、よな?
頭の中で映像を巻き戻すと、確かに俺の膝から降りて、カバンを手に取っている。
それに、そわそわした感じで歩いていくというよりもちょっと小走り、かな。
どういう……?
いや、そんなこと、気にするようなことか?
…違う。
カバンを持って行ったことよりも、
今日何度か見た「もの言いたげな彼女の顔」が無性に気になる。
もともと、困ったことや悩んでることをあまり言わないからな…。
様子から察した俺が半ば強引に聞き出して、というパターンが多い。
言わないのも、どうやら俺が頼りないとかそういう理由ではなくて、
心配させたくないとか、彼女自身のプライドの問題とか、そんなところらしい。
身の危険が迫っているというようなことがないのなら、それは全然構わないんだけど、
恋人として彼女のそばにいる立場からいうと、やっぱり心配だし気になるんだよな。

それにしても…遅い。
彼女が出て行ってから5分、いや…8分くらいは経っている気がする。
女性のことだし、いつもだったら特に気にするようなことでもないのだけど
考え始めたら、気になって気になって仕方がなくなってきた。
様子を…見に行ってみようか。
別に何か用事があるんだったらそれはそれでいいんだし、
倒れてるとか…そんな可能性がまったくないわけでも、ないし。
様子を見に行ったって、構わないはず。

「キョーコ?」
「わぁあっ、ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいんだけど…どうかした?あんまり遅いから様子を見にきたんだ」

俺は、自分に言い聞かせるようにリビングから廊下に出た。
そして歩きながらふと洗面所を見ると、鏡に向かって真剣な顔をしている恋人を見つけた。
なんだ、ここにいたのか。
そう思って声をかけてみると思いのほかビックリした様子で彼女が俺を見た。
しかも、ビックリついでに謝られてしまった。
謝るようなこと、してたんだろうか。でも…洗面所で?

「ち、違うの。えっと…あ、あのね敦賀さん…」
「ん?」

俺の問いを受けて、何か決定的な場面でも見られたかのように彼女が挙動不審になっていく。
顔を真っ赤にしながら俯いてモジモジしている彼女を見ているうちに
何だか少し嫌な予感がしてきた。
話があるってことはわかったけど、何を言いたくてこんなに緊張してるんだろう。
他に好きな人ができた、とか…別れてください、とか…
いや、最近の彼女の様子を見てもおそらく多分それはない…だろう、と…思う、けど…思いたいけど。
じゃあ一体何を言おうとして…?

「えっと…言いにくかったら無理に言わなくてもいいんだよ?俺はリビングにいるから」
「はぶらしっ!」
「え?」
「は、歯ブラシ…私のぶん、置かせてもらってもいいかなって…言おうと…」

妙な沈黙に耐えられなくなった俺がそう言ってリビングに戻ろうとしたところで
突然大声で彼女が叫んだものだから、
それに応えた返事がかなり間抜けなものになった気がする。
その後に早口で告げられた内容が頭に入ってきて、ようやく何のことなのかを理解した。
…そうか、歯ブラシ、ね。
何を言われるかと思って、こっちまで緊張したじゃないか。
泊まることが増えたから置いておいたほうがいいのかも、ってことなんだろう。
そんなの、俺に許可を取らなくたって何でも置いていけばいいのに。
まったく…本当に可愛いな、君は。

「もちろん。好きなところに置いてもらって構わないよ」
「…じゃあ、同じコップに入れてもいい?」
「いいよ。あ、歯磨き粉はどうする?」
「それは敦賀さんとおんなじの、使います」

ニコニコしながらカバンから自分の歯ブラシを取り出して、
俺がいつも使っているコップの中に、俺の歯ブラシと同じように立てている。
私が使ってる歯磨き粉も、これと似たようなものだし、なんて言いながら
さっきとはうってかわってウキウキしているみたいだ。
…ああもう。なんて可愛いんだ。
そんなことを言いたくてずっと機会を伺っていたのかと思うと、可愛くてたまらない。
俺の部屋に泊まる、イコール、ほぼ毎回そういうことをする、だし、
そういう経緯があって、自分の物を恋人の部屋に置きたいというのはごく自然な流れだろう。
しかし彼女はもともとがかなりの恥ずかしがりやなもんだから、
それでそんなことを言い出すにも多分すごく緊張したんだろうと思うけど、
…それにしても…この可愛さ、犯罪級だろう。

「今度、歯ブラシスタンド買ってきますね」
「まったく…可愛いことしてくれるよね、本当に」
「へ?や、な、何敦賀さんっ、だ、だめですってばここ洗面所ですよ」
「歯ブラシだけでいいの?」
「え?」

後ろから抱きしめて、頭の上から優しく問いかける。
プラスチックのコップと歯ブラシふたつが、洗面ボウルに音を立てて転がった。
驚く彼女を自分の方に向かせてから抱き上げて洗面台に座らせる。
こうすれば身長差が少しだけ緩和されるし、いろんなこと、しやすいから。
…歯ブラシの次は何だろう。化粧品かな。それとも、パジャマかな。
そのつど言わなくても、いっそまとめて言えばいいのに、
またあんな風にドキドキ緊張しながら俺に聞くつもりなんだろうか。
…ああ、それもまあ、すごく可愛いから、いいか。
こちらを見上げる彼女の頬に手を添えて、髪をそっとかきあげた。
俺の行動が意味するところに気付いたのか、
ちょっとだけ不安そうだった瞳が、恥ずかしそうに揺れた。
そして頬を染めて俯こうとしたところを指で軽く止めて、唇を重ねる。

そうか、最初は、歯ブラシか。
あまり考えたことはなかったけど、正直なところ、すごく嬉しい。
これからも俺の部屋に泊まりに来てくれる、ってことに繋がっていくし、
俺の部屋が、2人の空間に変化していくのを見るのも、きっと楽しいに違いない。
今だってもう君がいない時は寂しくて仕方がないくらいだから。
君のものが増えたら、俺も少しは安心できるかもしれない。

そして、歯ブラシや化粧品、着るもの、そんなののついでに、
いつか君もずっとここに…俺のそばで暮らすようになってくれればいいのに。
近い未来に必ず叶えたい願いを呟いた。
その間にきっと少しずつ増えていくだろう君のしるしは、
さしずめ、そこに到着するまでの目印かな、なんて思いながら。



2007/09/23 OUT
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