キス、したくなった。
けど、ここじゃ、ダメ…人が見てる。
人が見てるっていうレベルじゃない。スタッフさん達や、役者さん達でごったがえしてる。
なのに私の視線は、ぎこちなく敦賀さんの胸元から唇のあたりを往復しちゃう。
2人きりな場所でキスしたり、ただ身体をくっつけたり、
そういう時には私のすぐ目の前にある敦賀さんの身体、なんだかすごく恋しい。今。
2人でいる時みたいに、手を伸ばしてしまいそう。
お仕事モードの敦賀さんもとても素敵。
見た目のカッコよさで好きになったわけじゃ、ないのに、私の恋人は…やっぱりカッコいい。
いけない。
自分の視点が、「京子」から「最上キョーコ」に移り変わっていくのに気付く。
ここじゃ、ダメなのに。
それはわかってるのに…どうしてかな。
スタジオの中は、次のシーンに向けてセットの入れ替えが行われてる。
私達役者はといえば、準備が完了するまでの間、しばらくの休憩中。
昨夜逢ったばかりなのに、同じ現場のおかげで、今日も逢えた。
とっても嬉しくて…ドキドキして、それから少し切ない。
2人きりじゃないから態度に出せない分、好きって気持ちが大きくなっていってしまう。
この関係を誰かに気付かれるわけにはいかないから、
少し仲の良い事務所の先輩後輩として、普通に接するしかない。
でも、誰かと話したり演技したりする敦賀さんを見ているのも好き。
こんな風に笑うんだ、とか、あんなこと言ってる、とか、自分の知らない彼を見つけられるもの。
私と一緒にいる時の敦賀さんも、こうしてお仕事してる時の敦賀さんも、どっちも大好き。
今回の現場は、なんていうのかな…敦賀さんを含めた4人がメインキャスト。
私は、メインの人たちと仲のいい後輩みたいなポジションかな。
共演する人達も年の近い人が多いから、休憩中はこうして雑談してることが多い。
敦賀さんの相手役の女優さんは最近結婚したばかり、
その相手の人も役者さんでみんな良く知ってる人だから、今日はさっきからずっとその話題。
結婚とか…好きなタイプとか。
「え~、家ではそんな感じなんですか?想像できない!」
みんなの会話を遠くで聞きながら、自分達のことをこっそり考える。
私と敦賀さんの、こと。
敦賀さんも、おうちではお仕事中とは全然違う感じ。
ベタベタくっついてるし、何かと言うとキスしたりしてる…し…あれ?
私も…もしかしたら違うのかな。2人でいる時と、こういう風にお仕事してる時。
いつもの様子を少し反芻してみたけど、顔から火が出そうになって慌てて首をぶんぶんと振って打ち消す。
や、やだ、何思い出してるんだろう、私。
休憩中とはいえ、ここはお仕事の現場なんだから、もっとしっかりしないと。
遠くに行きかけていた「京子」を急いで引っぱり戻す。
「京子ちゃん、京子ちゃんは好きな人いる?」
「へっ?」
「何その返事、聞いてなかったな~」
「ご、ごめんなさいっ」
トリップしてる真っ最中にいきなり話をふられて、思わず奇声を発してしまった。
や、やだなもう…。
「京子ちゃんは、今は仕事命!って感じだもんねえ~」
「あ、そ、そうなんです、好きな人とか作ってる暇ないっていうか…」
「そうなの?怪しいなー、その反応」
笑ってごまかそうとしていたら、私を置き去りにして会話がどんどん流れていく。
好きな人…は…いるんだけど、今そんなこと口にしたら、多分顔に出ちゃうんじゃないかな。
私の好きな人って、すぐそこにいる人なんだもの…。
突っ込まれるようなことだけは、なんとしても避けなくちゃ。
「そうなんだ…京子ちゃんって結構可愛いからモテそうなのにね」
「敦賀くん事務所同じでしょ?なんかいろいろ知ってる雰囲気ー」
「いやいや…こう見えても彼女ガード堅いんだよ」
「なーに?口説いたことでもあるの?」
「そういうわけじゃ、ないけど」
頭の中でどうしようかぐるぐる考えていたら、聞きなれた声が他人行儀に言葉を発する。
その内容がなおさら私を慌てさせて、もう取り繕うこともできずにただ笑うしかできない。
結構可愛いだの、モテそうだの、ガード堅いだのって…つ、敦賀さんもうやめて…。
なんだかいたたまれなくなって、上目でこっそり彼の表情を伺うと、あー…紳士スマイル…。
私の視線に気付いて、こっそり片目をつぶってみせる。
好きな人作ってる暇ない、っていうの、気に…してるのかな。
でもでもでもっ…こんな状況じゃ、ああ言うしかないってことくらい敦賀さんにもわかってるよね?
敦賀さんしか、いないよ?好きな人なんて。
そう心で呟きながら敦賀さんを見上げると、今度は普通に微笑んでくれた。
良かった。
怒ってるわけじゃない、よね?
私も笑ってみせる。
その敦賀さんの表情が優しすぎて、昨夜呆れるくらいにしてたキスを思い出した。
唇のあたりに目線をやると、今は普通に言葉を紡いでる彼の、その柔らかい感触が私のそれに蘇る。
離れた時に感じる吐息がほんのり熱くて、もっと欲しい、って私が誘われてしまう。
それで我慢できなくなって、2度目はいつも私からおねだりするように、くちづけるの。
キス、したいな…。
言葉より早く、気持ちが伝えられるもの。
敦賀さんの感触をなぞるように、指先で唇に触れた。
表面をふわりと撫でて、自分の温度を確かめる。
同じものに触れたがる唇をたしなめるように、そっと。
「はい、京子ちゃん」
また急に名前を呼ばれて顔を上げると、
ちょうど真正面にいた敦賀さんが、私にお菓子を手渡してくれる。
「差し入れだって」
「あ、ありがとうございます…」
受け取るときに、唇を撫でた私の指と敦賀さんのそれが、そっと触れた。
慣れた感触と、過ぎていく一瞬に、ドキドキしてしまう。
ドキドキと、私の熱、伝わったかな。
そう思いながら敦賀さんをこっそり見つめると、
ゆっくりと、だけど確かに、私に触れた指で唇を掠めるのが目に入った。
あ…。
それは間接キスにもならないかもしれないけれど、とても密やかな触れ合い。
ねえ敦賀さん…私が、指先にキスしたの、見てた?
温度、伝わった?
また、視線が絡み合う。
周りが少しだけ遠ざかっていって、私と敦賀さんは共犯者みたいに甘く微笑み合った。
まるでスパイが交わし合う、秘密の…サインのように。
ただ指先が触れただけ。
だけど…私が自分の唇に触れて、敦賀さんが最後に唇に触れてくれた。
そこで初めてキスに、なったの。
キスしたくなったのは私。
自分を駆り立てていたのも私。
…それに火をつけたのは…敦賀さんですよ?責任、取ってくれるのかな。
普通の間接キスよりもまだ、微かで僅かな感触。
それでも、人前でこっそり、なのは、限りなく身体を甘くさせる。
大好きな人の蕩けるような微笑みと、2人だけの秘密を少しだけ露呈させてみた背徳感。
敦賀さんとの恋は、いけないことだらけだけど、そのぶんだけいろんな想いを見つけられる。
さっきまでのもやもやした気持ちはどこかに行っちゃった。
こうして、指先から伝わるキスだけで、こんなにも幸せになれるなんてね。
好きな人は、あなただけ。
だから、次にキスするときには、あなたの唇をちょうだい?
2006/04/26 OUT