PURE HALF -REN

From -LOVERS

帰宅すると、彼女が部屋に来ていた。
それはいいのだけど、いつもなら俺が帰ってきたときに既に来ていれば
玄関まで迎えに出てきてくれるところなのに、
靴を脱いで室内に入ろうとしても出てくる気配がない。
確かに彼女の靴が玄関に揃えられているし、いることはいるんだろうけど。
あるいは何か別のことをしていて俺が帰ってきたのに気付かないのかもしれない。
今日は部屋に来るという連絡もなかったから、俺もチャイムを鳴らさずにいたし。

いつもと違う感じを少しだけ不審に思いながらも、
恋人に逢えるという高揚感を纏ってリビングに入ると、床に座り込んでいる彼女の姿が目に入った。
ああ、よかった。やっぱり来てくれてたんだ。
姿を見て安心はしたけれど、座り込んで俯いている。
…何かあった…のか…?

「キョーコ…?」

近寄りながら声をかけると、彼女がびくっと肩を震わせる。
いつもなら、逢えた時にはすぐに触れ合ってキスを交わしたりするのに、
彼女の方から手を伸ばしてくれることだってあるのに、
今日はこちらを見ようともしない。
どうしたんだろう…。
そんな態度に不安を感じつつも、彼女に手を伸ばす。

そうしたところで、ふと、彼女の横に置いてあるものに気が付いた。
何かの雑誌。開かれているページには大きく俺の名前が書いてある。
彼女の不思議な態度の原因に、やっと思い当たった。
あぁ…あれを、見てしまったんだ…。

「ご、ごめんなさい…っ、わ、私もう…くやしくて…っ」

彼女のそばにしゃがみ込み、いいよ…大丈夫だから…、
そう繰り返し呟きながら、目の前で泣きじゃくる恋人をそっと抱き寄せた。

静かに泣き続ける彼女の背中を繰り返し撫でさすりながら、目線だけをその雑誌に向ける。
数日前に社長に見せられたそれには、俺が出演した新作映画の興行成績について、
とても辛辣な評論が書かれている。
だけどそれは評論と言うよりは、書いた人の主観が全面に押し出された根も葉もない中傷記事寄りのものだ。
今までに俺が出た他の映画と比べて客の入りが少ないだの
名前だけでは人を呼べなくなっただの、撮影現場で散々監督とモメていただの…
挙句の果てには、これにショックを受けた俺がしばらく映画に出ることはないと明言したとある。

発売直前になって明るみになった記事に打つ手はなかったけれど
事務所も俺も、取るに足らないものだという結論に達した。
俺は、こんな数ページの文章に対して仕事をしているつもりはない。
自分がいいと思えば何であろうとやってみることにしているし、
あの映画だって、全力を捧げるに値する素晴らしいものだった。
そして作品の持つ魅力は、興行収入の結果如何で消え失せてしまうものじゃ、ないんだ。
誇れる仕事をした。
監督以下スタッフだって、俺やそのほかのキャスト達だって胸を張ってそう言える。
もちろんこれからだってオファーが来れば喜んで映画に出るつもりでいたから、
この記事を見た時には、よくもここまで捏造できるものだと本当に脱力した。
以前取材に失敗した恨みでもあるんだろうかと本気で考えたものだ。

だけどあの映画のことを本当に喜んでくれていた彼女には、できるだけ見せたくなかった。
これを見た彼女の心中は…察するに余りある。
発覚した時点で自分から、こんな記事が載るんだと言った方が良かったんだろうか。
ほとんどが捏造に埋もれた歯牙にかける価値もないものだと、
気にしなくていいからと言っておいたほうが…良かったのかもしれない。
誰かから見せられたのか、自分で見つけたのかはわからないけれど、
俺の選択は間違っていたんだろうか。
間違った内容だと知っていて、それでも現物を目にすれば彼女はきっと悲しむはず。そういう性格なんだ。
こんな記事に振り回されて悲しい思いをするくらいなら、最初から知らないほうがずっとマシだと思った。
だけど、彼女は箱入りのお嬢様でも何でもない。
同じ業界で仕事をしていて、さらには俺と同じ事務所なんだから
気付かないほうがおかしいと言えば、その通りなんだろう。
辛い思いをさせたくなかっただけなのに、間違った方向へ向かった思いやりが…
別な言葉で言い換えれば、俺のわずかな勇気の無さが
目の前の結果を招いたんだと見せ付けられているようで、胸が痛む。

「ごめ…なさ…っ…」

彼女の顔を覗き込むと、手の甲で涙をぬぐいながら彼女がそう呟く。
ああ、もう…目も真っ赤だし、まぶたも少し重たそうだ。
どれくらい泣いてたんだろう。
前に自分が似たようなことを書かれた時には、まさに怒髪天を突くといった勢いで怒り狂っていたのに、
もう…俺の時にはなんでそんなに泣くかな…、キョーコ。
そこまで泣いたところを見たのは…久しぶりだ。

「いいから…俺は大丈夫だから…キョーコだって、こんなの間違ってるってわかってくれてるだろう…?」

過去の記憶を手繰り寄せてみると、やっぱりあの時もとても悲しそうに泣いていたっけ。
慰める術も知らずにただオロオロしていた自分もついでに思い出す。
今はこうやって抱き寄せることも、できるのに。
彼女の手を取り、真っ赤に泣きはらしている目のすぐ横に口付ける。
零れ落ちた涙を舐め取り、ついでに頬にもキスをした。
それから、少しだけバツの悪そうな表情をして俯く恋人をもう一度抱きしめる。

不謹慎だと思いつつ、彼女のそういう顔を見てるのは結構好きなんだ。
自分の為に涙を流してくれる人がいるということは、どうしてこんなにも幸せなんだろう。
本気で怒って、本気で喜んで、本気で悲しんでくれる人がいる事実を通して、
自分がその人のなかでどれくらい大切にされているのかを、改めて知ることができる。

こんな仕事をしておいて言うべきではないのかもしれないけど、
自分のやろうとしていることを、万人に受け入れられなくても構わない。
極論としては彼女ひとりがそれを理解していてくれれば、それでいいんだと思えてしまう。
芸能人じゃない俺も、テレビに出て仕事をしている俺のことも両方を知っていて、
まるごと受け入れてくれている、かけがえのない存在。

自分がひとりじゃないと思えるようになったのは、君がいてくれたからだ。
仕事にだって明らかにいい影響が出てる。
絶対できると言ってくれたあの言葉はあの時からずっと、俺のお守りなんだ。
君が信じてくれれば、何だってできる。
そうやって、今までもこれからも、いろんなことに挑戦できるんだよ。
彼女を包み込む自分の体温から伝わるように、抱きしめた腕に力を込めた。

本当に悲しそうに涙を流す姿を辛く感じながら、
彼女の心を覆う悲しみを思いながらも、困ったことに…とても幸せを感じてしまう。
矛盾した自分の気持ちに苦笑しながら、心の中で彼女にそっと告げる。

ごめん、キョーコ…泣いている君もとても可愛いんだけど、
ずっと見ているのは…やっぱり辛いよ。
だから、早く泣きやんで、俺に笑ってみせて欲しいな。
何を書かれたって、俺は君がいてくれればそれで本当に大丈夫なんだから。

ほら、キョーコ…



2006/11/14 OUT
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