「どこか行きたいところは?」
いつものように優しく聞いてくれる。
深夜のドライブデート。
忙しい敦賀さんとお休みがなかなか合わない私と。
たまにこうやって逢うのが精一杯だけど
それでも逢えるだけで嬉しい。
「海…見たいな」
「了解」
都心から少し離れた海までの道程は、驚くほど早かった。
逢えなかった間に起こったこと、他愛もないこと…
話してると時間はすぐに過ぎてしまう。
電話も、メールも毎日してるのに。
電話では顔も見られるし…事務所でばったり会うことだってあるのに。
…やっぱり一緒に過ごすのが一番好き。
手を伸ばせばすぐそこに敦賀さんがいて。
手を繋ぐのも、身体を寄せるのも…キスも。
したいなと思ったらすぐに。
「着いたよ、降りてみる?」
「うんっ」
助手席側に回ってきてくれた敦賀さんの手を取って車を降りる。
そのまま手を繋いで砂浜に向かう私と敦賀さん。
やっと最近慣れてきたかなって思うこの行為の恥ずかしさも
見上げた星空にかき消されてしまった。
真っ暗な空に、一面の星。
「うわ…あ、敦賀さんっ、見て見て、すっごく綺麗な星!」
降るような星空。
海に来れたらいいなって、それだけしか思っていなかったから
この景色は嬉しいサプライズ。
敦賀さんとつながっていない方の手で夜空を指さしながら隣を見た。
私と同じように夜空を見てると思ったら、思いっきり目線が合ってしまう。
や、やだ…私なんか見てたっておもしろくもないのに…。
ふわ、と微笑んだ敦賀さんが上を向く。
つられて、私も顔を上に向けた。
本当に綺麗な空。
こんな星空なんて、しばらく見てなかった気がする。
「ほんとだ…すごいね、落ちてきそうだ。流れ星とか、見えるかもね」
「じゃあ、お願いしなくちゃ」
敦賀さんは、何てお願いするのかな。
私は…どうしよう。
あなたに似合う女の人になれますように、かな。
役者としても、…こ、恋人としても。
隣にいたって、恋人にはとても見えないもの。
…見えたらそれはそれで問題かもしれないけど、でも、少しでも追いつきたい。
近くて遠い背中。
「敦賀さんは、何てお願いします?」
「キョーコといつまでも一緒にいられますように、かな?」
少しドキドキしながら彼の方を向くと、いつもと変わらない風にさらっと言う。
そんな答えが返ってくるとは思わなかった私は、なんだか恥ずかしくなって
それと同時に顔が紅くなるのがわかって。
繋いでいた手をほどいて、波打ち際まで1人で歩いた。
私といつまで一緒にいたいって…思ってくれてるんだ。
忙しい毎日も、短い逢瀬を繰り返すしかできないこの関係も何もかも
そんな言葉で報われた気がするよ、敦賀さん。
足元で寄せる波から目線を上げると、どこまでも暗くて静かな海が広がってる。
夜だからなのかな。
吸い込まれそうにぱっくりと口を開けたブラックホールみたい。
無意識に、自分を抱きしめるように身体を支えた。
誰もいない海。
誰も…いない。
敦賀さん。
そう心の中で呼んだ瞬間に、後ろからそっと抱きしめられた。
背中に感じるぬくもりと、身体に回された大きな腕と。
「どうした?寒い…?」
「夜の海って…ちょっと怖いですね…真っ暗で誰もいなくて海と空の境目もわからなくて…」
寒いわけじゃないのに、敦賀さんの熱があったかくて泣きそうになる。
自分で来たいって言っておいて、そんなことを考えてしまったって知ったら、
敦賀さんはどう思うんだろう。
いつまでも一緒にいられますようにって、敦賀さんが言ってくれたから…思い出してしまったの。
そんなことを言ってくれる人が、今まで1人も…誰もいなかったことを。
母親と一緒に過ごしたことなんて、数えるくらい。
あんなに一緒にいたいと願った思いは、そのひとによってボロボロにされてしまった。
「この世に…ひとりきりみたいなの、思い出しちゃった」
本当ならそんなこと、願わなくても叶えられるはずなのに。
それを埋めていたのが…ショータローで。
でもどんなに一緒に時間を過ごしていても、それは代わりでしかなかったのかもしれない。
ショータローは、ショータローの両親は、とても近くにいたけれど、家族ではなくて。
良くしてもらったのに、どこかで居心地の悪さを感じてた。
補うための努力も、たくさんしてきた。
今でも少し思う。私、間違ってた、のかな。
だけど、正しい答えなんてもう、見つからない。遠い過去。
現在がどうあっても、取り残された思い。
「俺は…好きだよ、夜の海」
敦賀さんが、まるで私に言い聞かせるように呟く。
耳元で紡がれる言葉は、とても優しくて、でも力強くて。
「俺も、昔はそう思ってた。自分はこの世にひとりきりなんだって」
え…?
「いいから聞いて」
響く波音の中で敦賀さんがゆっくりと話しはじめた。
ひとりきり、って…夜の海って…敦賀さん…。
「…夜の海は…暗くて怖いかもしれないけど、俺にはすごくあたたかかった」
私を抱きしめる腕。身体をぎゅっとされて、服1枚向こうにある熱がじわりと浸透し始める。
背中からじゃなくて、正面からそれを感じたくて敦賀さんに向き直る。
顔を胸につけて、頬を寄せて、縋るように背中に腕を回して。
そこにいてくれるって、教えて欲しくて。
「俺がさ…何者であっても、否定しない、そういうあたたかさ、みたいなもの…かな。
名前とか、生まれとか、育ちとか…」
敦賀さんも…なんだ…。
そうだよね。
いろんなことがあって、それで今の敦賀さんで。
見てるだけじゃきっと、そんなこと思いもしない。
お仕事もきちんとできて、格好良くて、芸能界一イイ男って言われてて
静かな物腰のなかに、これまでやってきたことが育てた自信みたいなものが備わってて…。
敦賀さん、敦賀さんも身震いするような孤独に…立ち向かってきたの…?
「私…いつもひとりだったんです…。
周りに人はいたけど、ショータローの両親は私を育ててくれたけど、
母親には捨てられて…結局ショータローにも捨てられて……」
こんなこと、もしかしたら初めてこの人の前で口にしたかもしれない。
ショータローに捨てられたとか、そんな怒りにまかせて言えるような気持ちじゃなくて
もっともっと私という人間の根本にある…ずっと…ずっと心のどこかに巣食っていた思い。
私1人じゃ、どうにもできないような、黒くて、固まってしまった捻れた思い。
ダメだとわかっていながら、まるで敦賀さんに吐き出すように言う。
「今でもそう思ってる…?自分はひとりだって…」
だけど、敦賀さんのゆっくりとした言葉が、私の心の底にそっと触れていく。
熱を持ったそれが、光すら拒んできたその塊を溶かすように。
「俺は…君が今、ここに存在してるってことに感謝してる。
お母さんと…いろんなことがあっただろうし
育ててくれた人達に、申し訳ないことをしたと自分を責めてるかもしれないけど
それでも…今、ここにいる君は、そういうことを乗り越えてきた君だろう?」
どうして…
どうしてこの人は、たったあれだけ私が言った中からこんな言葉を導き出せるんだろう。
そう…そうだよね。
今までのことがなかったら、きっと、今の私もいなくて。
敦賀さんにも逢えなくて、ひとり、どうなってたかも、もうわからない。
あんな思いをするのはもうイヤ。
ショータローに捨てられて、頼るものがなくなってから、強くなろうって思った。
強くなれたはずだった。
…全然強くなってないじゃない。
少しは強くなってるって思えた。だけど、やっぱりどこか欠けてるまま。
こんな風に、敦賀さんに心配させるようなことを言ってしまった。
いつも笑ってる私でありたいと思ってた。
敦賀さんには、そんな私を見せていたくて、そんな私を見ていて欲しかった。
海のせいでも、お星様への願い事のせいでもない。
いつかは言葉にしなくちゃ、乗り越えたなんて言えないって…やっとわかった。
それがきっと、今日だった。
「…もう、あんな思いをするのはイヤなの…もしどこかに行くなら、私も…連れて行って…」
脳裏に蘇る、私に背を向けて歩き去る母親の姿。
それを消し去るために、もう一度目を閉じた。
こんな風に弱いことを言ってしまう私でも…いい?
隣に並んでもちっとも釣り合わない私だけど、あなたの隣にいたい。
だから、あなたのそばにいて…いい…?
「ずっと、そばにいるよ…約束」
敦賀さんからもらうものは、その想いだけで十分だと思ってた。
好きだよ、とか、逢いたかった、とか…。
だけどどんどん欲張りになっていってしまう。
弱い自分を見せて、敦賀さんからの言葉を欲しがって
どこまで好きになってしまうのか、もう自分でもわからないの。
もし遠い未来、あれは守れない約束だったとわかったとしても
今だけは、ううん、しばらくは…心の中にしまっておこう。
どんなものよりも、私を暖めてくれる、敦賀さんにしかできない、大切な約束。
私も…敦賀さんが二度と寂しい思いをしないように…
敦賀さんがそれを許してくれる限りはずっと、そばにいるね。
約束。
2006/05/29 OUT