気持ちがすごく妙な感じだ。
初めてのデートとか、キスとか、そんな時に感じたような…ドキドキとワクワク、
それから、言葉に言い表せないほどの、はやる想い。
多分、彼女が部屋に来てくれているかどうか、確かめなかったせいなのだろう。
待ち合わせ場所に相手が現れるのをハラハラしながら待つような…
そういう気持ちが身体の中で静かに、だけど沸騰している、そんな気分。
2週間ぶりに彼女に逢える。
逢えない日が続くというのは、特に珍しいことではないのだけど、
それが物理的に遠く離れているせいだというだけで、なんだかすごく恋しくなった。
電話をしてみても、写真を眺めていても、感じられる彼女の温度は微かすぎて、
それが余計に寂しさを募らせる。
いつまで経ってもこれには慣れそうにないと、悟ってしまった。
仕事から離れたただの1人の人間として、恋人の不在に感じる寂しさは、
自分がそんなに強くはないのだと、自覚するのには十分すぎるほどで。
キーを取り出すのに、少しだけ邪魔な花束を床にそっと置いた。
いざとなると何をプレゼントすれば喜んでくれるのかと悩む。
とりあえず、バレンタインに渡せなかった花束を、社長に頼んで手配してもらっておいた。
後は、これから考えよう。我ながらずいぶんと手際の悪いことだ。
好きで好きで、どうしようもなく好きすぎて、想いを持て余してしまう。
そんな気持ちを込めようとして彼女に向かって言葉を紡いでも
手を伸ばして触れてみても、キスをしても抱いてみても、
伝えきれなかった想いが身体を切るようにして空回っているみたいで、痛い。
今だって、ドアの向こうにいてくれるかもしれないと思うと、
心臓をぎゅっと掴まれたように苦しくて、それから、身体の一部をえぐられたように、なる。
だけど彼女に触れることが出来たら、そんな焼け付くような痛みや想いすらもとても心地よいものに変化するんだ。
そうやって俺は…彼女から離れられなくなっていく。
ドアを開けてすぐに目線を下にやる。
俺のよりもずいぶんと華奢な靴が揃えてあるのを見て、ざわざわとしていた気持ちがすうっと凪いでいく。
玄関では逢えなかったけれど、中にいることには違いない。
良かった…。
東京に戻ってすぐ電話をしたけれど、正確な帰宅時間がわからなくて
彼女にはあいまいなことしか言えなかった。
今日はもう逢えなくても仕方がないと思っていたから…なおのこと嬉しい。
廊下を抜けてリビングに出ると、ソファの上で丸くなる恋人の姿を見つけた。
ベッドルームから持ってきたらしい毛布に包まってすうすうと寝息を立てている。
テレビが控えめな音量で室内の空気を揺らす。もちろん照明も着いたまま。
起こさないようにそっと荷物を置いて、ソファの前に腰を下ろした。
眠ってしまったのか…。無理もない。時計はもう0時を過ぎている。
「ただいま…キョーコ、遅くなってごめんね…」
目を閉じるその顔の近くに自分の顔を寄せて、静かに髪をかきあげてから額に口付けた。
聞こえるともなしに呟く。
夜の静寂の中でただ眠っている。そんな様子を見ているだけで、胸がいっぱいになる。
彼女が立てている寝息の静かな音や、照明に反射してゆるく浮かび上がる綺麗な髪の艶、
頬に伸びるまつげが落とす影、彼女だけじゃなく、彼女を取り巻く空気すべてに
言い知れない愛情を感じて、毛布から覗く指先に口元を寄せた。
今日の花束は、割合にしてみたら、
彼女が俺にしてくれることの、何分の一くらいになるだろう。
そこにいてくれるだけで、世界に存在してくれるだけで…数え切れないくらいの幸せを俺にくれる、
そんな君に…少しでも何かしてあげられていたら、いいのに。
「ん…」
「キョーコ…ただいま、キョーコ、風邪引くよ、起きて」
額と指先へのキスで、眠りから引き離されたかのように彼女がゆっくりを目を開けた。
だけどすぐに笑顔になって、俺にぎゅっとしがみつく。
その身体を受け止めてしっかりと抱きしめたら、
俺の中であふれそうにもがいていた気持ちが彼女へと一気に流れ込んでいくような錯覚すら覚えた。
「敦賀さん…良かった」
そう言って顔を上げた彼女に、今度は唇同士のキスをする。
触れるだけのものよりも少しだけ深く、互いの存在を確かめるように。
離れていた距離を埋めるように。
「夢…見てて…敦賀さんとこうしてる夢…ぎゅって」
「…痛かったかな?」
「ううん。夢の中でもやっぱり久しぶりで…泣きそうになってて、私。ヘンですよね」
唇を離してから彼女が照れくさそうにそう笑った。
彼女が自分と同じような気持ちを抱いていてくれたことが、ただ嬉しくて
心があたたかくなっていく。
さっきの不思議な気持ちを少し残したまま。
自分ではどんな表情をしているのか見当もつかない。
そんな俺に向かって、彼女がふわりと微笑んだ。
「おかえりなさい、敦賀さん。おうち、勝手に入っちゃってごめんなさい」
「そんなのいいんだよ、来てくれてありがとう。今夜は…どうする?」
「ここにいる…いいですか?」
「もちろん。シャワー浴びたら行くから先にベッドに行って…」
「ううん、大丈夫。ちょっとだけ、お茶しませんか?」
もし、そんなに疲れてなかったら、ですけど、と言って
包まっていた毛布から抜け出た彼女の服装を見た俺は、あることに気付く。
これは…そう言えば、携帯電話に送ってもらったポラロイドと同じ…?
「キョーコ、その服…」
「あ…これね、可愛かったからお願いして買い取りさせてもらっちゃいました」
どうですか?と嬉しそうに問う彼女に、すごく可愛いよ、と答えながら、
俺にしてみればどんな君だって可愛いから…
服についての感想を俺に聞いても仕方ないかもしれないな、なんて密かに思う。
だって本当にそうなんだから。
それにしても…今日はなんだかすごくたくさんのプレゼントをもらった気分だ。
疲れて帰った部屋には、愛しい恋人が自分を待っていてくれて、
それから、その服も多分、俺に見せてくれようとしたんだろう。
もうすぐしたら雑誌の誌面を飾る、そんな彼女を一足先に独り占めできるというのも、素直に嬉しい。
「これで、バレンタインしたらどうかな、って思ったの。だいぶ過ぎちゃいましたけど」
あぁ…そうだね。
ちょうどいいかな。俺も、君にバレンタインのプレゼントとして用意した花束があるから。
それから、もうひとつ、おみやげがあるんだ。
と言っても、これは俺からではないんだけど。
これで少しは、今日の君へ、お返しができるかな。
そうだ。
とりあえず、今日、俺が君にしてあげられることは…花束を渡すこと。
そして、ベッドの上で抱きしめて、君が眠りにつくのを見守ること。
…それから。
「社長から、マリアちゃんのバレンタインのクッキーを預かったんだ。
直接君と俺に渡したかったみたいだけど、都合が悪いとかで。せっかくだから少しだけ、食べようか」
「マリアちゃんから?わあ…うれしい。お茶、私、入れてきます、敦賀さん疲れてるんだから座って」
「いいんだ。今日は俺にさせて?」
少し遅くなったけど、朝はきっと2人とも早いけれど、少しだけ、2人で話をしよう。
午前0時過ぎのティータイムは今日の君に最初にしてあげられること。
俺がそう笑って見せると、彼女がとても嬉しそうに微笑む。
…参ったな…
そんな笑顔を見せられて、またひとつ、君に先を越された気分だ。
それも俺にとってはすごく幸せで…
君にどうやってそれを伝えたら良いのか悩みながら、俺はキッチンへ向かう。
そんな、もどかしくも幸せな悩みでさえ、君といられるからなんだと…想いをかみしめながら。
2007/02/24 OUT