今日で、もう1週間。
手帳を見て、ため息をついた。
敦賀さんと逢ってない。逢えない。
スケジュールがいっぱいで、逢う約束もできないまま。
私はそうでもないんだけど、とにかく敦賀さんがすごく、忙しくて。
…寂しいな。
敦賀さんと、‘こう’なった以上、覚悟は出来てるつもりなんだけど
それでも、やっぱりちょっと寂しい。
仕事先で偶然逢うこともなかなかないし、
事務所で逢っても挨拶くらいしかできない。
私と敦賀さん、秘密の関係、なんだもの。
携帯に電話すればいい、っていうのもわかってるの。
忙しくてどうせ留守電だろうけど、
メッセージを残せば、後で必ずかけてきてくれるのも、わかってる。
でも…邪魔、したくない。
今電話したら、逢いたい、寂しい、そんな言葉しか出てこないような気がして。
そんなこと、言ったら多分呆れられる。
忙しいのに、無理なのに。
こんな気持ち、上手く言葉にできないよ。
‘好き’も、満足に言えないのに、
こんなあやふやで不安定な気持ち、どうやって伝えたらいいのかわからない。
テレビ電話じゃなくて、本物に逢いたいよ、敦賀さん…。
すぐそこにいてくれたら、触れることができたら、
言葉にできなくても、私の気持ちも伝わるかもしれないのに…。
ため息をひとつ。ぎゅっと握った携帯電話を見つめた。
呼び出してみる、敦賀さんのナンバー。
今日こそ、かけてみようって、もう何日になるだろう。
ボタンに指をかけて…やっぱりダメ。
携帯電話って、便利だけどすごく不便。
相手に直通な分、余計に都合を考えちゃう。
私のワガママで、折り返しさせちゃうのも悪い、よね。
もう夜も遅いし疲れて寝ちゃってるかも。
だとしたら、起こしちゃうのも嫌。
逢えなくて寂しいなんてワガママも、言えない。…敦賀さんが気にしちゃう。
そんなこと、言えない…。
たかが電話なのに。
浮気なんかしてないですよね?って軽く電話できたらいいのに。
逢えなくてちょっと寂しいかな、だから、早く帰ってきてくださいね。
いつもすごく忙しいんだから身体に気をつけて、
それと、ご飯もちゃんと食べてね…って。
…逢えない分、せめて声が聞けたらな…
とりあえず寝る用意だけでも済ませて、
あ!明日は朝、学校行かなきゃ。
あぁ…もう寝なくちゃ。
電話、今日もできなかった…。
*
電気を消して、布団に入る。
目を閉じたら浮かぶ敦賀さんの顔…
頬を大きな手でそっと包んでくれて、触れる唇はとても柔らかくてあったかくて…。
やだ、なんで今日に限って、キ、キスのときのことなんか思い出しちゃうんだろう。
記憶が私をそっと撫でていく。思い出しちゃったらもう、我慢なんかできない。
指でそっと唇をなぞってみる。
まだはっきり残ってる、この前のキスを思い出して、
敦賀さんが唇でそうしてくれるように、そっと、そっと…。
ん…逢いたいよ…。
ピルルルルルルルル
突然鳴り響く音。
真っ暗な部屋の中、枕元の携帯に灯りがともる。
腕を伸ばしてサブディスプレイに目をやった。
着信…
敦賀さん!
嘘。どうしよう、電話してきて…くれたんだ。
「つ、敦賀さんっ?」
『遅くにごめんね、寝てた?』
電話越しでも私の好きな、敦賀さんの低い声。
ぎゅっと耳に押し当てる。
「ん、もうそろそろ寝ようかなって。明日学校なの」
『そっか、じゃあ少しだけ』
優しく響く声に、うっとりして目を閉じる。
そうしたら、すぐそばに彼がいてくれてるような気がして。
『…ごめん、なかなか電話できなくて。ここ圏外になることが多いんだ』
「そうなの?」
『ちょっと山奥だからね。ああでも早く逢いたいな…もう少し我慢しないといけないけど』
私も早く逢いたいな…。
早く、帰ってきて?
『君からかかってきてるかも、と思ったら、気が気じゃないよ、毎日』
「私っ…なかなかかけられなくてごめんなさい。声、聞きたかったのに…」
『仕事、忙しい?』
違うの。
仕事は忙しいけど…敦賀さんに電話できないほど暇がないわけじゃなくて。
ああ、もう。
何て言えばいいの?
「…そうじゃないの」
『キョーコ?』
「ごめんなさい、上手く…言えないけど…」
『…もしかして遠慮とか、してる?』
そうなのかな…。
『遠慮なんかしなくていい。いつでもかけてきて?君が嫌じゃなければ、だけど…』
「嫌なんかじゃ…っ」
『何かあったらすぐ俺に言うこと。俺と君はもう恋人同士なんだから…先輩後輩、じゃなくて、ね』
「はい…」
何、考えてたんだろう、私。
一番本音でぶつからなきゃダメな相手なのに。
上手く言えないんだったら、そうやって伝えたらいい。
そうやって、ちょっとずつ‘ふたり’になっていけばいいんだよね?
『俺は君に逢えなくて、なかなか声も聞けなくて寂しいよ…。早く帰りたい。君は違う?』
もやもやしてた心の中を、敦賀さんの言葉が通り過ぎていく。
その後には雨上がりの空みたいにはっきりとした想いだけが残されて。
「ううん…すごく、寂しい…ごめんなさい、こんなこと初めてで、何て言っていいかわかんなくて…」
『寂しいって思うのは普通だよ。悪いことじゃない。ごめん、いつもそんな思いさせてるね…』
「ん…そんなことないです…だってお仕事だもの」
いつも、こうしてでも声が聞けて嬉しい。
繋がってるって思うの、敦賀さんと。それがとても嬉しいのに。
逢えなくて寂しい。だけど、寂しくない。
私だけがそうなんじゃないって、わかるなら。
『キョーコ、目閉じてみて』
目?
なんだろう…
言われるままに目を閉じる。
闇の中から、ちゅ…って、かすかな音が聞こえてきて。
目を閉じてって…え…今の…キス…?
『キス』
ややあって、楽しそうに敦賀さんが呟いた。
…どうしてそんな恥ずかしいことができるんだろう。
いつも感じる敦賀さんの唇の感触をリアルに思い出して
顔から火が出そうになる。
さっき、ちょっと思い出したりしてたから余計に。
「…もう…」
『キョーコはしてくれないの?』
「そそそそんなのできないですっ…」
『じゃあ、帰ってからいっぱいしてもらおうかな』
くすくすと笑う声が耳に届いてくる。
もう…。
『ごめん、君も俺もそろそろ寝ないとね。寝る前に声が聞けてよかった。また電話するから』
「私も…電話しますね」
『ん、待ってる。じゃあ…おやすみ、キョーコ。いい夢を』
「おやすみなさい」
大好きだよ…。
通話終了ボタンを押す前に、そんな声が聞こえたような気がした。
私も…。敦賀さん。
さっきの‘キス’のせいで、また熱が上がる。
早く、帰ってきてね?
帰ってきて、いっぱいキス、して…。
あ、そうだ。
思い立って、メールの作成画面を呼び出す。
これなら、いいよね?
件名:おやすみなさい
本文:ちゅ
2005/12/18 OUT