約束を…
敦賀さんが私としてくれる約束を、私は、信じていいんだと、思う。
それは、いつか○○しようね、なんていう
いつとも知れない遠いところに向かっていくものじゃなくて
ごく近いところで叶えられる、とてもささやかなもの。
今度、ドライブに行こうか。
敦賀さんとお付き合いするようになってすぐの頃。
そう言ってくれてから2週間くらい経ったある日、私たちは本当にドライブに出かけた。
とても楽しくて、嬉しくて、ありがとうって、口ごもりながら告げた私に
また来ようね。
そう言って、敦賀さんは笑って私をぎゅっと抱きしめてくれた。
抱きしめられることに慣れていない私は、相変わらず敦賀さんの腕の中で
固まったままだったけれど、隙間なく敦賀さんの腕に包まれて感じるあたたかさは
少しだけ私の心の中を溶かしてくれるような気がした。
あの時の、「ありがとう」には、いろんな意味が詰まってるの。
約束をしてくれてありがとう。
本当に連れてきてくれてありがとう。
私に、信じさせてくれてありがとう。
約束を…守ってくれてありがとう…って。
1人の時間が長すぎて、
もう…誰かが私に約束をしてくれるなんて思わなくなってた。
期待、しなくなってた。
誰かに何かをしてもらおうなんて、思わなくなってた。
待ち続けて、失望するのも嫌。
それに、誰かに期待することで、その人の負担になるのも、嫌だった。
敦賀さんに逢うまでは。
…ううん、敦賀さんを、好きになるまでは。
敦賀さんが…私を好きになってくれるまでは。
*
敦賀さんのお部屋。
食事をしてから、2人で何をするでもなくテレビを見ていると、
偶然、最近結婚したある芸能人カップルのことが流れた。
自分のことじゃないし、スキャンダルでもないのに、何故だか身を硬くしてしまう。
付き合ってるらしい、と噂は聞いていたけれど、
やっぱり正式にニュースになったときは少し驚いた。
知っている人同士が結婚する。
そういう出来事が、私の中にその2文字を強く植えつけたから。
結婚、かあ…。
それがどういうことなのかは、私もちゃんと知ってる。
自分がそういうことをするなんていうのは、考えたこともなかったけれど。
いつでも、今のことでいっぱいいっぱい。
だけど、こんな風に敦賀さんと過ごすことが増えてきて、
少し先の自分のことを考えたときには、必ず敦賀さんのことを思い浮かべるようになって…
ちょっとずつ、そんなことを考え始めてる私が、いる。
「敦賀さん、知ってた?」
隣に座り、テレビの方を向いている敦賀さんに向かって問いかけてみる。
あなたが何を思ったのか知りたくて、いつもは聞いたりしないことを投げかけた。
それが、2人の間での重要な会話になるかもしれないことを想像しながら。
「何が?」
「…あの2人、結婚するんだって」
「うん、そうらしい、ってことだけ、ちらっと聞いてたよ」
「そうなんだ…」
うつむいて自分の思考に潜りかけた私を、
敦賀さんがひょい、と抱き上げていつもみたいに膝に座らせた。
同じ方向を向いて敦賀さんの膝に座って、後ろから抱きしめられてる格好。
顔が見えないぶん、ひとりごとのように会話ができる気がして、
もう少しだけ、言葉を紡いでみる。
どうしよう、ドキドキ…してきた。
「どんな気分なのか、想像つかない…」
「やっぱり、すごく幸せなんじゃないかな。それで…」
「それで?」
「すごく、普通、なんだと思う」
「…普通?」
「そう。普通。2人でいることが、当たり前になっていく、って感じ」
当たり前って…なんだか今の私と敦賀さんみたい。
あ、えっと、敦賀さんがどう思ってるかはわからないけれど、
私は、もう、敦賀さんと過ごすことが当たり前になってる。
手を伸ばせばそこにいてくれることが当たり前で、
電話をしたり、メールをしたり、逢えばキスをしたり抱きしめたり
どれも特別なことだけど、どれも当たり前のこと。
それくらい、2人でいることが普通で当たり前に…なってる。
「結婚っていうとすごく特別な感じがするけど、基本は、2人でいることだと思うから。
それに、相手の前で常に取り繕ったりしないといけないようなら、長くは持たないよ」
ああ…すごくわかる。
結婚、なんていう言葉で飾られてはいるけれど、その先にあるのは生活、だもの。
続けられなきゃ、結婚とは言わないわよね。
普通に過ごせない人とは、ずっと一緒にいることは、できないもんね…。
「結婚、っていうよりも、ずっと一緒にいる、って言ったほうがわかりやすいよ、きっと」
「じゃあ…そういう約束を、したんだ…」
「そう、なんじゃないかな。ずっと、一緒にいよう、って…」
ずっと一緒にいたい。
敦賀さんとお付き合いして、同じ時間を共有するうちに、そう願ってしまう私を見つけた。
敦賀さんのことが好きで…大好きで、敦賀さんも私のことを好きだと言ってくれる。
そんな幸せな時間が、いつまでも続けばいいのに、と、いつの間にか思ってる。
自分の中に、そこまで大切に思える存在ができるなんて、思いもしなかった。
だから、余計に、この気持ちに戸惑ってしまう。
大きすぎる「好き」の想い。
こうして過ごすだけじゃ、足りない。持て余してしまうほど大きな気持ち。
2人の気持ちが同じくらい大きくなったら、そうやって…約束をするのかな。
「考えたことは、ない?1人の人と、ずっと一緒に過ごすこと」
「わ、わたし?」
「そう」
敦賀さんが好き、という気持ちの中に自分を潜り込ませていたところに
急に問いかけられて、どうやって答えていいのかわからずに少しだけ黙り込んでしまう。
ど、どうしよう。そんなつもりじゃなかったのに、なんだかプ、プロポーズを促してるみたいじゃない…!
うかつに話題に出してしまった自分をこっそり呪いながら、
だけど、今自分が思っていることに正直になろうとして、言葉を選ぶ。
私が知りたいと思ったのと同じように、敦賀さんもそう思ってくれたのなら…きちんと向き合わなきゃ。
「なんか…まだよくわからない…かな。ちゃんと一人前になってもいないのに、そんなこと…」
これは半分は本当。
まだ私には早いと思うの。
それよりも、自分を自立させることを優先したい。
だけど、その言葉の中に、ずっと一緒にいたいと願ってしまう私を…そっと隠した。
自分でも初めて気付いた強い想い。心の奥底に眠っていた、本当の願い。
だって、私がそんなことを口にしたら、きっとあなたを縛ってしまう。
私の愛情は、不器用な分、多分すごく重たくて、捧げた相手を縛ってしまうものなの。
それが痛いくらいにわかったから、誰も好きにならないと決めた。
でも…敦賀さんのことを好きになった。
生きてきて初めて、こんなに人を好きになってしまった。
敦賀さんも、同じくらい私のことを好きだと言ってくれる。
毎日、逢えばその度に、逢えなくても電波や言葉に乗せて伝えてくれる。
好きだよ、愛してる。
そう言われるたびに、どうしようもなく幸せで、泣きたくなる。
でも。
今は好きでいてくれても…未来はわからない。
敦賀さんの未来を、縛っちゃいけない、とも思うの。
だから、敦賀さんが言ってくれる言葉に、期待しすぎちゃいけないんだ、って…。
一緒にいたいと願う自分と、敦賀さんを縛りたくない自分。
ずるいと言われるかもしれない。
あなたの言葉を待ってるだけなのかもしれない。
だけど、そうじゃない。あなたの未来はあなただけのものだもの。
私がお願いしたからって…簡単に叶えられるものじゃないってことも、よくわかってる。
そして、そうでなきゃいけないし、そうであって欲しい。
私のために、じゃなくて…あなたのために。
…ただ、あなたがどう思ってるのか、知りたいだけ、なの。
「じゃあ…今度キョーコが、そういう気持ちになったら、その時は…」
え…?
私をくるっと回転させて、そっと向かい合った後に聞こえてきた敦賀さんの声。
不意に紡がれたその言葉に、きょとんとしている私を抱きしめて、
それから…唇同士が軽く触れ合って、もう一度目を合わせて。
「俺に一番最初に約束を、させてくれる?」
敦賀さん…それって…それってもしかして…
「もう、予約したから。覚えておいて」
優しい声を聞きながら、私は目を閉じて敦賀さんの胸に頬を寄せた。
返事はこれでわかってもらえるかな…。
はい、予約されました、って。
それから…胸にあふれてくる想いが心臓の鼓動を早めていくのを感じた。
敦賀さんが私としてくれる約束を、私は、信じたい。
今までだって、あなたはできないことを約束したりはしなかったもの。
今のは…約束の約束、になるのかな…。
まだ早いと思う、って言った私のため?…私の心を見抜いてるから?
一緒にいたいと願ってもいいのなら…それを敦賀さんも望んでくれるのなら…
またひとつ、敦賀さんとの約束が増えた。
あふれる涙をまぶたの奥に隠して、敦賀さんの身体にぎゅっとしがみつく。
いつとも知れない遠いところにあると思っていた未来が、
少しだけ…近づいた気が、した。
そして、隣にはきっと、あなたがいる。…いつまでも。
そう…信じても、いいよね?敦賀さん。
大好きで、これからもずーっと一緒にいたいって、思っててもいいよね。
敦賀さんが、私と一緒にいたいと思ってくれてる間は…そばにいさせてね。
2006/09/19 OUT