彼女とずっと一緒にいたいと願う。
それは、彼女を世界で一番大切に思う俺にとっては当然の望みだ。
自分の中で言葉にするのはたやすい。
決意を再確認するようなものだから。
手を取る。握る。繋ぐ。そして身体を抱き寄せて包み込む。
唇を…身体を重ねる。そんな日常の何気ない仕草の中にだっていくらでも込められる。
好きだよ、愛してる、ずっと俺の傍にいて。
そんなことをいつも繰り返し心の中で呟きながら過ごすんだ。
彼女と過ごす日々は本当に幸せだ。
驚きや感動…今まで自分には縁がないと思っていた、そんな感情でちりばめられていて、
俺は、そういうものをもたらしてくれる彼女がいるこの世界ごと、愛することが、できる。
そういう風に想える誰かとめぐり逢えるなんて本当に…思ってもみなかった。
君に、逢うまでは。
ベルベット加工がほどこされている少し硬めの小さな箱を開く。
中央に収められているのはシルバーの指輪。
ひとつだけ、小さなダイヤモンドが光ってはいるけれど、
それ以外には何一つ装飾のない、本当にシンプルなものだ。
本当はもう少しわかりやすい…例えば、恋人同士が
ペアでつけることを前提にしているような、
そういう風に、込めた想いが外からも見て取れるものにしたかった。
だけど彼女が…キョーコが一度、それを見ていて可愛いと呟いていたのも知ってる。
ひとりごとで、まさか俺が聞いているとは思わなかったのだろう。
それを聞いて以来、頭の片隅にあった、想い。
指輪を…と思ったときに、まっさきにそれが俺の頭に浮かびはしたものの、
関係を公にするわけにはいかないような付き合いしかできない今現在、
彼女にも気を使わせるし、半ば諦めていたことも、事実で。
今回、これを用意してからもずいぶん迷った。
渡すことを迷ったのではなく、彼女に負担に思わせずに
受け取ってもらえるのにはどうしたらいいだろう、とか
それでいて、未来の約束を欲しがる自分のことを
彼女はどう思うだろうか、とか
本当に、社長や社さんあたりに感づかれたら確実に遊ばれそうな、そんな「迷い」だ。
街を行く恋人同士とおぼしき人たちを見ては
彼らが歩んできたであろう歴史に思いを馳せてみたりして、
自分と彼女のこれまでを振り返り、未来を思う。
この世の誰もがそれぞれのドラマを持ち、それぞれに乗り越えてきたものがあって、
そして俺も彼女も、出逢うまでは互いにそれぞれの人生を生きてきた。
これからは、1人で乗り越えてきたものを抱いたまま、「2人」を紡いでいきたい。
遠い昔に交わり、離れ…そしてまた、運命が交差する。
あの時…泣きじゃくる彼女に自分がどんな想いを抱いたのか、
過去に遡って今の自分が説明することはきっと難しい。
今みたいな気持ちではなかったにしろ、何らかの想いを浮かべたには、違いないけれど。
彼女の手の中に残したあの石が、その証拠だ。
もしかしたら。
再び出逢うことが不可能に近いとわかっていながらも、
もしこの先また彼女のとの道が交わることがあるのなら、
今度は離れたくない、と…
成長しても多分あまり変わらず泣き虫であるだろう彼女の涙を止めるのが
今度は必ず自分でありたいと、願っていたのかも、しれない。
だからもう、離れたくない。
微かにそう願っていたのかもしれない遠い過去の自分を思う。
今ならそれが、叶う。
叶えることが、できるんだ…。
渡そう。
今はまだ、言葉を伝えて君に選んでもらうことは、できないけれど。
俺の決意を…想いを、君に渡したい。
「キョーコ…」
強い決意に神経が興奮しているんだろうか。
指輪を箱に収め、ベッドにもぐりこんでからもなかなか眠ることができない。
目を閉じ、脳裏に今は隣にいない恋人の姿を浮かべ、そしてそっとその名を呟いた。
直接触れているわけではないのに、途端にある種の満足感のようなものが身体を駆け巡る。
君の名前は、なんて強い力を持つんだろう。
愛しい人につけられた名前は、その存在を確かなものにする大切な言葉。
それだけで、彼女が確かにこの世にいるんだと俺の身体全てに伝えてくれる。
キョーコ。
君は今、何をしてるんだろう…?
さっき電話で話したばかりなのに、もう禁断症状が出そうだよ。
明日逢えたら、渡したいものがあるんだ。
仕事が済んだら迎えに行くから待ってて。君の方が遅くなりそうだったら、待ってるから。
そうだ…君は、知ってたかい?
俺と君が恋人同士になってから、今日で468日目だって。
明日は…469日目だ。
だから…
*
「敦賀さんっ」
ついでに、と立ち寄った事務所。
思いがけず聞こえてきた声に、自分がどんな表情をするのかも構わずに振り向く。
「やあ」と、いつもどおりの挨拶を返し、近づいてくる彼女に笑いかけた。
とりあえず、今は「先輩」の顔で。
「おかえり」
「はい、ただいま帰りました」
そして、周囲に誰もいないことを確認し、そしてこっそりと2人だけの会話を始めた。
手を繋いで、そっと微笑み合う。
2週間ぶりに見た恋人は、いつもと変わらない様子なのに
久しぶりに逢えたという嬉しさからなのか、心臓がゆるやかに、でも強く鼓動を打ち始める。
逢えない間ずっと君のことを考えていたからだろうか。
それとも、いつもと違う決意を胸にしまってあるからだろうか…。
「隣、行こうか」
「はい」
昼時とあって、見回してもスタッフは数人しかいない。
手を繋いでいられるくらいに離れてはいるけれど、次第にそれだけでは物足りなくなる。
もう少し厳密な「2人きり」になりたくて、隣の応接間に誘った。
怪しまれないように俺が先に移動して待つこと数十秒。
少し遅れて室内に入ってきた彼女をゆっくりと抱きしめる。
「逢いたかった…」
万感の想いを込めてそう呟くと、
彼女から「はい…」という声が聞こえた気がして、より一層強く彼女の身体を抱きしめた。
身体に回される腕のあたたかさを感じながら目を閉じて
そのまま、抱き合ったままでしばらく黙って時を過ごす。
電話で話していた時には、時間が足りないくらいいろんなことを話したのに
こうやって触れ合うことができるくらい近くにいられる今は、
言葉よりもただ、その温度に焦がれてしまう。
自分の想いに少し胸が痛くなった。
今からこんなことで、俺はきちんと例のものを渡せるんだろうか。
約束の約束を…伝えることができる?
「あの…」
「ん?」
俺の腕の中で彼女の方が先に言葉を繋いだ。
今夜逢うことを約束してはいたものの、仕事の予定も詳しくは聞いておらず、
もしかしたら不意の時間が取れなくなってしまったり、するんだろうか、
なんて、頭の中では少し考えていた。
その矢先の彼女の言葉にとくん、とくん、と胸の鼓動が被さっていく。
「今夜はお部屋にお邪魔してもいいですか…?」
「もちろん、俺は最初からそのつもりだったよ。夜、迎えに行くから」
「わ、私これから撮影に戻らなきゃいけなくて、ちょっと遅くなっちゃうかもしれないです」
積極的な言葉が、素直に嬉しい。
離れていて寂しかった分だけ、俺の心にまっすぐに響いてくる。
まったく、よく出来てるな。
隙間ができていた心の中を、彼女の言葉が補修してくれているのがわかる。
彼女の「好き」を心でかみしめながら、こちらを見上げる頬をなでた。
「構わないよ。待ってるから」
「いいんですか?」
「うん」
「良かった…」
「キョーコこそ、遅くなって平気?」
「予定を1日、多めに伝えてあるんです。敦賀さんと過ごせたらいいなあ、って思って…」
「そうか…やっと君をひとりじめ、できるんだ…嬉しいな」
「わ、私も…嬉しいです…すごく、久しぶ」
照れながらしどろもどろに言葉を繋ごうとする唇を、待ちきれずに塞ぐ。
こんなところでがっついて、きっと呆れられてるんだろうな。
だけど、あんなことを言われて我慢できると思う?
「ん…」
覚悟してて。
もう、離さないから。
何度こうして呟いただろう。
抱きしめるたびに、口付けるたびにそうやって想いを紡いできた。
そして今日も。
「もう…ここ事務所ですよ…」
「知ってる」
「本当ですか…?」
「あんなに可愛いこと言ってくれて、キスだけで済ませられる自信がない」
「敦賀さんっ」
ほんとに…君はわかってやってるんだろうか。
いや、全部無意識なんだろうな。
少なくとも俺に見せてくれる「最上キョーコ」からは計算は何一つ感じられない。
だからこそ、そんな無意識に邪気のない君に、俺はどこまでもはまっていく。
言葉じゃないものでそれを伝えたくて、腕の中に収まる身体をぎゅうっと抱きしめた。
そして、口を開く。
「キョーコ」
「はい?」
「渡したいものがあるんだ」
「何ですか?」
予想とはうらはらに、彼女の表情はとても優しい。
早く俺に逢いたいと言ってくれた昨夜の言葉を思い出す。
彼女に対しての何もかもが、俺の考えすぎなのかもしれない。
だけど、失くしたくないから慎重になる。それは多分とても自然なことなんだろう。
「夜に逢えたら、ね」
「今は秘密なの?…じゃあ、楽しみにしてますね」
そう言って小さく笑うその唇にもういちど自分のそれで触れた。
名残惜しむ身体と心を宥めるように、2人で強く抱きしめ合う。
そして、夜の約束を確かめた俺と彼女は、それぞれの時間に戻るために扉を開けた。
2007/01/13 OUT