あたりを気にしながら素早く隣のシートへ乗り込んでくる恋人に、キスをひとつ。
唇を離してから、そっと呟く。
久しぶりだね。
こうして2人きりになるのも久しぶりだけど
そもそも、顔を合わせるのが、久しぶりだ。
やっと2人になれた。その喜びが心をじわりと覆っていく。
2人で出かけられるのはいつも夜で、
出かけると言っても、俺の運転でどこかへ出かけて
そのまま彼女を送って行って別れることが多い。
多い、と言っても、こんな風にドライブで出かけられることなんて
今までにも数えるほどしかない。
いつもが久しぶり、な、デート。
そしてそれはいつも、夜。
一緒に過ごせる時間も、そう、長くはない。
「高いところ、行ってみようか」
すぐ近くの信号で停まったところで、
どこへ行こうか?と問いかけた俺に向かって、
嬉しそうにニコニコしながら考えあぐねている彼女。
ひとつの提案をしてみる。
聞いてきたんだ。
多分、君が喜んでくれそうなところ。
人がそんなに多くない、穴場、なんだって。
そこなら、あまり人目を気にしないで2人の時間を過ごせるかもしれないよ。
2人きり、隔離されたあの部屋でのように。
「え?」
楽しそうな声が返ってくる。
闇の中を流れていく景色の中で、微笑む君が簡単に想像できるよ。
俺もずいぶん想像力がたくましくなったんじゃないかな。
逢えない間は、君のことをあれこれ考えたり、してるから。
とはいっても、俺の中にいる君は、いつも雨上がりの虹のような笑顔。
「夜景が綺麗で、人が少ないところ、教えてもらってきたから」
「わぁ…すごい楽しみ」
失望させなければいいけれど。
お姫様の期待に応えられるだろうか。
それは、着いてからのお楽しみ、かな。自信も少しならあるよ。
だけど、本当は夜なんかじゃなくて、明るいところでも
君とこうして過ごせることができたらいいのに、と思う。
きっとそれは、今の俺には過ぎた望みなんだろう。
君を手に入れて、こんな時間をわずかながらでも持てるだけで十分に幸せなはずなのに。
こういう仕事をしている以上、簡単にその望みを叶えることもできない。
彼女との事が明るみに出て、どんな風に転がっていくかなんて
今の俺には想像できなくて。
悪いことだとは思わないけれど、だからと言って
いいことなのかと問われて、俺や彼女の立場と照らし合わせてみても
そんなに簡単に答えが出るような問題じゃないんだ。
ハンドルを握りながら、またいつもの思いに頭を支配される。
久しぶりに逢えてとても嬉しい。それだけで満足だ。
夜で、周りが暗いのはいつものことなのに、
何故か今日はそれが俺の薄暗い考えをゆっくりと増幅させていく。
キョーコ、君は…考えたことはない?
もっと一緒にいたいとか、夜じゃないところで逢いたいとか…。
手を繋いだり、って…君も少し前に似たようなこと、言ってただろう?
そう思いながら恋人の様子を窺おうとすると
彼女もこちらを見ていたのか、視線が合う。
少し、不安そうな、けれども、そうじゃないような。
闇に紛れてよくわからずに、目が合ったことに気付く彼女に向かって微笑みかけた。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
彼女が答える声のトーンはいつも通り。
せっかくのデートなのに、こんな気持ちでいたってどうしようもない。
気持ちを入れ替える。目的地までだって、あと少しだ。
あれを見て、彼女が喜ぶ姿を想像してみた。
「もう少しだから」
そして、そう告げると、前を向く。
ワガママすぎる俺の望みとか、すぐに終わってしまうこの逢瀬、
そんなことをもう考えるのはやめよう。
どんなに考えたって、すぐに結論なんか出るはずもないんだから。
それよりも、君といられるこの時間が、何よりもかけがえのないもの。
今は、それでいい…。
*
車を停めた後、助手席に回りドアを開けると、
降りてきた彼女が景色に驚いた様子で大きな感嘆の声をあげている。
「うわ…ぁ…、すっごい綺麗!ねえ、見て見てつるがさ…っと」
よほど感激したのか、俺の名前を口走りそうになる。
慌てて手で口を押さえる様子が何だかとても可愛らしくて、
思わず俺も吹き出しながら。
「大丈夫、誰もいないから」
だから、名前を呼んでくれて構わないんだよ?
そのために、今夜はここを選んだんだ。
それから…どうしても、君に触れたい俺のためにも、ね。
眼下に広がる綺麗な夜景に、精一杯近づこうとして
フェンスに駆け寄って夢中になっている彼女を、背中からゆっくりと抱きしめた。
身体全体に伝わってくるぬくもり。
しばらくぶりに満たされていく思いがして、目を閉じた。
見つかる確率が高めな俺の部屋よりも少しだけ安全で、
こうして互いを確かめ合うことが出来るようなところ。
それと、メルヘンなことが大好きな俺のお姫様に、少しでも喜んでもらえるところ。
どう?今夜のデートは、お気に召していただけましたか?
しばらく無言でそれを見つめていた彼女が、やがてこちらに向き直す。
顔を俺の胸のあたりにぎゅっと押し付けて、2人で抱きしめ合う形になる。
どうしたんだろう?
もう、いいってことなのか、それとも…。
「キョーコ?」
呼びかけても、無言のまま。
俺の背中に回された彼女の腕にそっと力が込められていく。
互いを強く引き寄せるように抱き合って。
わけがわからないまましばらく時が過ぎたあと、あることに気付いて
腕の中の彼女ごと、身体の向きを変えた。
背中越しよりも、このほうがいいって、ことなのかな。
ほらキョーコ、顔を少し横に向ければ、このままでも夜景が見られるよ。
心の中でそれに気付いたのかどうか彼女が、そっと横を向いた。
「だいすき…」
「…うん…でも…きっと俺の方が大好きなんじゃ、ないかな」
思いがけない言葉に少し驚きながら、自分の本心を口にする。
君は信じてくれるだろうか。
俺が君に対して抱えてる想いが、
言葉で表現できる範囲なんて、とっくに超えてしまってるってことを。
*
楽しい時間はすぐに終わりを告げてしまう。
何度迎えても小さく痛みが走る瞬間。
彼女を降ろす場所で車を停めて、促すように見つめて言葉を選んでも、
心はうらはらな想いを綴っている。
「じゃあ、またね。電話するから」
別れを告げてから、いつものようにふたたびキスをする。
ここは街中で誰に見つかるともしれない。
だけど、できるだけ隠してくれるような場所を選んで、
この時だけは、自分の想いに忠実になりたい。
「ん…」
別れのキスにしては、深くて甘いものを彼女に求めて
鼻に抜けていく吐息に身体の奥を撫でられながら、名残惜しい唇をそっと離した。
いつもなら、見つかるから、と、早めに車を降りてしまう彼女。
唇が離れた後に俺を見上げるその瞳を見つめると、俯きながらこちらに身体を寄せる。
腕を回し、包み込むようにしながら、今日の彼女の様子が何だか理解できた気がした。
君も、同じなんだ…?
逢えば離れたくなくて、離れていた時間を埋めたくて…
俺がどんなものよりも真っ先に君を求めてしまうように、
君だってきっとそうなんだと、俺は自惚れててもいい?
身体をきつく寄せ合い、再び互いの熱を確かめる。
逢えない間の寂しさを先回りして埋めようとしても、無理な話だけど。
でも今日だけは…今夜だけは。
逢瀬の後には別れがある。
それが寂しくて辛くて、どうにかしたいともがいてみるけれど、
そんな気持ちに支配されていることで、わかる想いもあるんだ。
例えば、逢えない時に君を想うことの微かな幸せ。
一緒にいる時に比べれば些細なことだけど、でも、それが君への想いを育ててくれる。
そして、次に逢える喜びは、とても大きくなっていくんだ。
こんな繰り返しが未来にも繋がっているのなら
そばにいられない時の寂しさだってきっと、辛いだけじゃ、ない。
ねえキョーコ。
俺は君をどこまで好きに、なっていくのかな。
いつかそれを、君から教えてもらえるかな…。
2006/05/16 OUT